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コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2010 10 20
とてもブロンズ、金属とは思えない。まるで血の通った人間が、心に何かを抱えた人間が、柔らかな革のクッションの上に座っているようだ。
初めてベルゴミの彫刻を見たときに、それは雑誌の写真を通してだけれども、他の彫刻とは一線を画した「何か」を持っていてるのを感じた。もう10年以上経ってしまったが、当時絵や彫刻などの「芸術」にはほとんど興味が無かった。もともと、絵は好きだったけれども、何かそれが余りに自分の現実、日常の生活からはかけ離れたもので、所詮、美術館でお目にかかる高尚なもの、いってみれば自分の生きる現実とは違った世界のものだという、ある種の空しさみたいなものを感じていたからだ。それが、ある日、日本の公共施設に彫刻を設置したいという相談を受けて、知人の画家に相談したところ、書棚から引っ張りだしてきた美術雑誌でみたのがベルゴミの彫刻だった。その時の衝撃は今でもはっきり覚えている。
よくなんの躊躇いもなく、ベルゴミに電話をして会いにいったものだと、今になってみればあきれてしまう。その後、紆余曲折はあったものの無事、彼の作品を日本に実現することができた。
作品ができる間にしばしば会いに行って彼とよく話したのは、彫刻、だけでなく現代の芸術がほとんど、コミュニケーション不能であること、芸術がベースにもつべき天才的な「飛びぬけた技術」をどこかに忘れてきてしまったということだ。
写真を見ていて出てきたこの彫刻は、昨年の彼の作品のひとつだが、こうして改めて見直してみると、まさに天才の技術に裏打ちされた、心の奥深くにコミュニケートしてくる、現代のアルカイックな作品であることを思い知らされる。
一緒に、雑談しながら食事をしている時は、別に普通のお喋り好きのイタリア人だけど、作品を前にすると、「お前、彫刻つくるの上手すぎ。」という他ない。天才を前に、上手いというのも冴えない話だけど他に言葉は見当たらない。
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by kimiyasu-k | 2010-10-23 02:16