コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2010 12 06 旗竿地 敷延
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旗竿地という。経済的に一番効率をよく土地を分割しようと思うと、奥に位置する土地は、旗竿のように、巾2メートルくらいの路地ができその奥に建物が建てられる敷地が生まれる。その結果、建物を法規上許される最大面積に建てようと思うと、敷地境界からぎりぎりのところまで家が建てこむことになる。隣家との距離は、50cmで家の四方が囲まれる。もちろん、外の景色どころかまともな採光も望めない。おまけに一種住居専用の土地なら北側斜線制限によって建物は無残に切り取られ、体もほろろの姿をさらけ出すことになる。一体どこで誰が決めたのか、建設費の基準が極端に安く、粗大ゴミ袋のようなビニールクロスに、ペラペラのアルミサッシュをはじめ、惨めなプラスチックの雨どいと目も覆いたくなるような安物の「新建材」が使われる。建築基準法ができたのは、昭和25年、戦争の傷からようやく立ち直った、バラックが建ちこんでいた時代のものだ。それから60年経った今でもまだ建築に対する基本的な考え方は変わっていない。それどころか、どう考えても大手企業の利益にしか結びつかない様々な細則が付加されていく。いつまでも社会の中に工業製品を氾濫させることによる「発展」の幻想から目を覚まして今を気持ちよく過ごせる街をつくることに、取り組む時期がきている。
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by kimiyasu-k | 2010-12-06 02:43 | 建築・architettura | Comments(2)
Commented by 吉原 hiroki at 2011-06-27 00:53 x
日本で 美しい、とまではいかないまでも容認すべきもの、魅力あるものとして、しぶしぶ評価する人は都市計画家か意識の高い人を除いて、ほとんどいないのじゃないかと思います。エリート主義だと思われるのを覚悟で言えば、人々は日本の都市が醜いということを口にするけれど、それはどうしようもないものとしてみている、というより、そこにあるものとして無条件に受け入れている。その気になれば日本の都市環境をヨーロッパのようにもできるかもしれない、と考えることは金輪際ない。 ヨーロッパ旅行をしても、別世界の現象であって、自分の住環境とは何の関係もないものとしてみる、否、比べることさえもしないのだとおもいます。完全な断絶がある。こうゆうことを言うと、こっちが変人、肩の張った人だとおもわれてしまうのですね。実際、海外生活の非常に長かった友人であればそうゆうことを当然理解してくれると思ってたので、力説したら、彼らはへーベルハウスに行ってしまった。
Commented by kimiyasu-k at 2011-07-05 17:15
日本国中、ディズニーランド化しているのは確かです。よく感じるのはイタリア人というのは極めて現実主義者で、ディズニーランドのような虚構、今風に言えばバーチャルな世界に生きることができないです。それが良いのか悪いのかという議論は別のところでしないといけませんが、現実(都市環境がひどいという)が意思決定の主因とならないところが今の日本なのでしょうか。へーベルハウスに行った友人も、現実のへーベルハウスという建築に惹かれたのではなく、へーベルハウスという商品の回りに創り出されたバーチャルな世界に惹かれたのではないでしょうか。