コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2011 06 24 ベルゴミのマリア
写真を整理していたら、以前撮ったベルゴミの彫刻、聖母マリア像がでてきた。一年以上前にブログで書いたが、こうして見ると改めて彼の彫刻のもつ迫力には圧倒される。わずか60センチ程の大きさの彫刻が見るアングルによっては巨大像にさえみえる。世界を覆う開かれた左手、懐妊を示す右手の人差し指にまず視線が引きつけられるが、全てのディテールが一部の空きも無く、創りだされている。何とも難しい表情をした顔、何かをつぶやこうとしている僅かに開いた唇、虚空を見つめる目。ほとんどミケランジェロ的といっても良いほどのダイナミックな両足を覆うマッシブな布の塊がマリア像を支える。
ただただ完成された芸術的な表現に打ちのめされた自分が、信心深い事務所に働くイタリア人にこのマリア像を見せたところ、彼女たちは、「キリスト教徒のもつキリストの母親としてのマリアのイメージと全く一致しない、マリア像としては認めがたい、だから美しくは見えない。」というのが評価だった。母性の理想像として2000年以上探し求められたこれまでのマリアは、愛や寛容、優しさの形だったが、21世紀のマリア像は、妙に神経質で尖っている。こんな硬いマリアの表情を見ると何故か世界中で起きている戦争や福島の原発事故などに対する、人間のおろかさを憂える現代のマリアなのだろうか。
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by kimiyasu-k | 2011-06-24 23:57 | 生活・vita | Comments(0)