コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2012 09 03 ベネツィア
ふしぎだな、ベネツィアは、何度来ても。
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SIGMA SD15 17-50mm F2.8
絶世の美女を前にしたらだれでもどんなカメラでもきれいな写真が撮れてしまうわけで、そんなツマラナさがベネチアにはある、などと言うことにしよう。帰宅してMACで写真を見ると、その凡庸さに、早い話がろくな写真が無い事に、がっかり。
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by kimiyasu-k | 2012-09-06 13:25 | Comments(4)
Commented by 高橋洋一郎 at 2012-09-06 22:32 x
ちょっと微笑んでしまった。(ぼくと「微笑む」は相容れないとは自覚する)
ロンバルド/サンタ・マリア・デ・ミラコリ。これのファサード/ヴォールトの丸窓(センターの大きいの一つと周りの小さいの五つ)のバランス感覚に驚いて始めたのが、大学二年生での建築史の事始め。
暮れなずむ水路の畔を実も蓋もない気持ちでとぼとぼ歩いたのが忘れられない。二人で、だったんだけどね。
二回しか行ってないけど、あえてサン・マルコ広場の正面に見えるサルーテと灯台には行かない。旋回し彷徨う空白の支点として。
Commented by kimiyasu-k at 2012-09-07 17:46
「豊穣」という言葉がいいかな。ベネチアは、全ての面において。高橋さんを微笑ませてしまうのだから、こんな「都市」は世界中探してもどこにもありませんね。
Commented by 高橋洋一郎 at 2012-09-07 21:49 x
イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」って、読みました?もう35年も前のこと。
ちょうど他人に、岡村君に貸してる最中だから原題がわからない。
河出書房新社だったと思う。米川良夫(リョウフと読む)の翻訳が擬古調で素晴らしい。

精妙な手付きで並べ替えた退屈の精密で正確な描写。
マルコ・ポ-ロとチンギス・ハーンのダイアローグ。返信を読んでそれらをふと思い出した。

多面ということじゃなくって…己を反射してさまざまに様相を移ろわせ、
汚れた一隅にそうあったかもしれないもう一つの別の自分を佇ませる。
幻であるにすぎない絶えざる不可解の場所。
汚れた水、とその音。

ABITAREが造船所の特集をしたとき、海草の端切れが浮かぶドックの碧い水を見て
「ここに水死体となって漂いたい。」と呟いちゃって同僚たちにうんと退かれた。
吉岡実の詩の一行が頭にあったんだ。あれ以来、ずっと変わり者の役割を演じてる。
Commented by kimiyasu-k at 2012-09-08 05:36
カルビーノの見えない都市は、翻訳本を遥か昔、学生のころ読んでちっとも分からなかった。生意気だけど、こちらで原文で読んだら、いとも簡単な物語であることを発見。率直、明快、緻密な彼の書く文章は、ゆらぎの多すぎる日本語への置き換えは無理がある。で、言いたいのは、イタリアには「変わり者」は居ない。それは誰もが皆、変わり者だから。むしろ変わり者でない人が多数を占める日本は、世界の中で本当に変わり国だ、ということに気がつかないほど日本は変わっている。