コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2012 09 15 異世界
モハメットの映画を引き金に起きたイスラム諸国での反米デモ、尖閣列島列島の国有化を引き金に起きた中国での半日デモ。狂信的なイスラム教国による野蛮な行為と、社会格差の不満のぶちまけどころとしての半日デモとの論調が新聞には書かれているが、本当にこんな短絡的な解釈で数万、数十万人の人の行動を説明しているのか。二つのデモに共通するベース、要因はどこかに潜んでいないのか。それが事実の本質つかむことにならないのか。
アメリカはここ100年以上、覇権主義により世界を支配してきた。とりわけソビエトが崩壊して以来はほとんど一人勝ちと言ってよいほどの力をもって世界を支配している。
一方日本は戦後の高度経済成長をもとに、工業製品が世界の市場をほとんど支配してきた。近年はかなり韓国製品が見られるようになったとは言え、世界には日本製の自動車が、コンピューターが、カメラが、機械が氾濫している。
アメリカが世界に輸出したのは、「自由主義」という政治であり、日本は「工業製品」という経済活動だ。このふたつはある一つの「世界観」を共有し、その大きな枠組みの中のふたつの局面であることに気づく。「平等」、「豊かさ」、「自由」、「権利」など近代社会の理念がこの世界観の中には盛り込まれている。
一方で、イスラムの人達の世界観というのは何なのだろうか。正直あまりイスラム教徒を知らないし、真面目に勉強をしたこともないが、おそらく彼らのもつ世界観は、アメリカや日本が戦後築いてきた世界観とは異なったもの別の世界を持っているだろうことは容易に想像ができる。実際、イタリアも西欧先進国のひとつだが、強いカトリックの伝統に基づく日本人とは異なった「世界観」をもっている。
イタリアでよくジプシーに物乞いをしつこくされて不快な思いをした人も多いとおもう。ほとんどの日本人はそれをまるで「悪」であるかのように思う。お金をせびるという行為が悪であり、ジプシーにお金をあげる人はほとんどいない。一方イタリア人はどうするのか。あるものはもちろん声をあげ追い払う。でもよく見ると、財布から小銭を出してあげるイタリア人も多い事に気づくだろう。ジプシーの置かれた歴史的、伝統的な立場を理解するなら、彼らの行為を単純な「悪」として否定する、拒否することはできないし、またヨーロッパには非常に多くのジプシーが生活し、生きているのであって、何らかの方法で、共生していかなければならないという現実がある。彼らのもつ世界は、われわれ定住者のもつ世界とは全く異なっているのだ。そのような異なった世界観をもつ人達を理解し、共存していくのは、実際には非常に難しいことだけれど、ヨーロッパの歴史は、言ってみれば多民族がいかに同じ大地に暮らして行くかという歴史そのものだ。日本は幸運にも、程よい距離の島国であり、他民族の軋轢をあまり被る事が無かった。日本の経済力は、そんな日本を多くの国から成り立つ複雑な関係でなりたつ国際社会の中に放り込んだ。日本は東アジアの辺境の国ではすでにあり得ない。
日本やアメリカが絶対的な「正」とする「近代的科学」を担保とした「世界観」は、2012年という時点で、本当に最善の世界観なのだろうか。「平等」、「豊かさ」、「自由」、「権利」といった宝石のように輝く言葉がちりばめられた世界は、本当に世界中に無条件で広められるべき世界なのだろうか、という問い掛けをしなければいけない時期に来ている。
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by kimiyasu-k | 2012-09-15 14:45 | Comments(0)