コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2013 02 05 
一日、隣家のよろい戸が吹き飛んでしまうほどの強い風が吹き続けると、まるで春のような日差しがやってきた。
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SIGMA DP-1
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EPSON R-D1 + Voigtlander NOKTON 40mm F1.4
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by kimiyasu-k | 2013-02-04 23:09 | Comments(3)
Commented by 高橋洋一郎 at 2013-02-06 03:39 x
よくわかります、異なることが。見ようとするものの。対象であり撮り手であり。
「直下型」のリアリティが311で露わになって「いつ死ぬかわからない。」という覚悟をマジつねにいだいてる。強度近視だから流すようにアウトラインを押さえるだけの見方でずっとあったのに、あからさまに事象を風景をしっかり見据えるようになってしまった。目付きはさぞ悪いんだろう。

EPSONには対象自体というより、挟まれたそれまでの距離が写ってるな、こないだの枯枝についた水滴の画像とおなじく。まさに以前のぼくの視覚世界。
眼を凝らして判断一歩直前にあるモノが露わになるSIGMAにやはり見たいものが写ってる。世界はこうなのだ…と。触覚さえも想起する。

311はいろんなことを、ぼく自身を変えたんだ、実際。
感傷的?いや、たとえば垂れ流しのオチャラケラジオのDJたちでさえ、ふとそのことになると人間の本来もってるソリッドさを吐露する。ピッカピカで無任所だった日本の社会ってずいぶん変容したと思う。暗部と硬質を潜ませる。文芸にもそれはじき現れるだろう。建築は?とずっと思ってるんだ。
Commented by kimiyasu-k at 2013-02-06 07:14
結局、世界と自分がどう関わるかという問題なんでしょうね。それを一枚のイメージに固定して見せるのが、写真かな。だから、関わり方の同じ人には、随分説得力があるように見えるし、そうでない人には、全く感心なし、まあ、精々奇麗な写真ってとこで終わっちゃうんでしょう。写真に限らず何でも同じかもしれないけど。
ただ日本は、その世界との関わり方がとても曖昧で、あまり相対化してみようとしない、というか、日本人にとっては世界というのは、もう本当にあちら側で自分とは関係ない、現実でない世界というか。だから311で現実を突きつけられた時、日本人は本当に、びっくりしてしまった。あ、世界が現実だと。ところが時間が経つと、日本はやっぱり世界を元のあちら側に押しやってしまった。だから、もうどんなに放射能があろうと、それは現実じゃない。都合のいいことに、全く見えないし。
で、まだ311の世界を現実として生きている人達は、棄民となってしまった。あちら側の世界に封じ込められてしまった。だから、きっと日本は311前の世界のまま、進んでいくんだろう。シグマは、世界をこちら側に引き寄せて、イメージを固定化してくれる。
Commented by 高橋洋一郎 at 2013-02-06 11:22 x
「やわらかい」「かたい」というの…
前者は勤めてた時に耳にタコだったんだ。苛ついた。そんなんじゃないだろよ、事実はよっ、と。で、定式化した匠技で天狗になってデザインするんだ、奴等。そのすえた匂いが我慢ならんかった。(外に依存して自己保存するずるいやりかただよ。

一般にはそのように評釈されそうなEPSONとSIGMA。
でも、空気が生け捕り出来たらいいよね。そこになにものかが描く線、不在の質料。
そういうの、加藤さんの過去のにあるよ。室内の静物に多い。メスキータ前室?もそうかな。ヴォリュームが顕れてる。

言葉遊びでした。
駒沢の会議、いらっしゃるかと思っていたのに肩すかし。残念でした。