コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

20130207 建築資材
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NIKON D3000 55mm F1.2
ヨーロッパの建築ってのは、やっぱり何処かギリシャローマのもつ「構築性」、つまり柱、梁、壁、床とかっていうふうに、モノに名前、意味を与えて、その「論理的な組み合わせ」によって作って行く行為だと思います。
そこにもちこむ論理性ってのが、古典主義では、軸性だとか、反復性だとか、っていう絶対的な規則性だし、近代建築はそこに一見自由な「構成」っていう別の規範を持ち込んだ。
基本的にコルビジェも、やっぱりコーリンローが指摘したように、極めて古典的だと。
おそらくオランダあたりからはじまったと思うけど、その構築性、モノに名前、意味を与えて論理的組み立てていくっていうのを、本気で止めちゃったのが、今の建築の潮流だと思います。
昔は、現物相手に、重力のある現場でやっていたから、この構築性から逃れることは、ほとんど不可能だったけど、今は、コンピューターの上で、「操作」で何とでもできるから。実際構造の解析なんてのも、コンピューターのお陰で、どんな形も可能だし。結局、建築って重力との戦いだから、それがコンピューターのお陰で、随分、自由にできるようになったってことじゃあないでしょうか。
構築性っていうのは、結局、コレクティブな規範ですよね。みんなが共有している。100%の人が。ところが、今のコンピューターの「操作」で生まれる建築ってのは、みんなが共有していないんじゃないですか。社会の中にある「島」的な、小さな共同体の中でしか通用しない、そんな建築なんじゃないでしょうか。
ヨーロッパでは、やっぱり歴史の現実が今に生きてるので、PCのグラフィックに走ったものを建築とするようなことはあまり無いと思います。
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by kimiyasu-k | 2013-02-07 20:51 | Comments(0)