コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2013 04 01 パスクエッタ 復活の月曜日
今日は、イースター翌日の月曜、宗教祭日。名前を思い出せない。グーグルマップで写真を見ていて発見した山間の小さな村。訪れてみてびっくり。名前も聞いた事のない、こんなに個性的な村があるとは。あと半世紀も経てば,きっとこの村は奇麗に整備され有名な観光地になる事だろう。今調べ直してみればこの村はVIGANELLAビガネッラと言う。
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
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by kimiyasu-k | 2013-04-02 04:42 | Comments(2)
Commented by 高橋洋一郎 at 2013-04-04 04:49 x
お気に入りブログなんてのが末尾に加わるようになったから「これなに?」と開いてみる。
ひとつの感傷に浸され引き伸ばされた画像に、ぼくは関心を持たなかった。フェミニン。
たとえば、定型詩(57577とか)の骨格にまで彫琢されてない想いなんてのは、モノとしては触れたくもない。
原型としての形式空間に照応しないものなんて、たとえば文学空間というようなものに属してなけりゃ、捨てて惜しくなんかない。

リアル。これが望まれるんだ。なにがどうであれ、努めてリアル。仮構してるのにそのことを意識してなんかいない怠惰がいちばんぼくらを駄目にしてる。
「都市」なんて言葉はよくない。抽象が過ぎて中味がすっかすかだもん。(重い)身を以って突きとめて観てるんじゃなきゃ「意味」がない。

何回か前にあった夜道の先の食堂の店先で男たちがたむろする画像は、なんとなくじつは堪えた。そして気付いた。
生活が、生きることが豊かだ(日本からすれば、前時代と括れるかもしれないが)。
ぼくの町でも今日歩いた渋谷でも、大人の男たちが私事で連れだって、という情景がない。アンリアルな毎日をここではみんな繰り返してるようだ(頭のなかもきっとそうなんだぜ)。
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-05 00:50
イタリアの生活が70%リアルなら日本の生活は30%がリアルかな。それはコンピューターや携帯、なんて新しい道具が日本では普及しているなんて話ではなくて、ずっとずっと歴史的に日本人の文化というのはそういうものだったのかもしれない。「現実」を棚上げ状態にしておいて「架空」の世界で70パーセントの人生を過ごす。フクシマなんて全くそうですよね。誰もフクシマという現実を生きていない。こちらに居たほうが、フクシマはより現実として迫ってきます。