コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2013 04 09 DOMODOSSOLA
狭い道を抜けると突然,小さな広場に出くわす。それもこんなにも統一感の無い建物が取り囲んでいるのに何故か,とても可愛く,美しい。奇麗に修復された白い窓の縁取りが印象的なレンガ色の2階建て,今にも崩れ落ちそうな尖り屋根の3階建て,ちょっと立派だけれどかなり古くなり色あせてきた4階建て。こんなに不揃いの建物にも関わらず,そこから生まれる広場はイタリアでもなかなか出くわすことがないほど魅力に溢れている。
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SIGMA DP-1
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
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by kimiyasu-k | 2013-04-10 01:36 | Comments(4)
Commented by 高橋洋一郎 at 2013-04-10 18:23 x
たしかにいいですね。なかなかいい。
DIAlogue。ひとが集って対話する情景に喩えたくなる。
用賀6棟でこういうことが生成しなかったのは燐棟間隔に対して鈍感であったからなのだろうか。稀な余裕が孤立する造形的郊外住宅への恋慕を誘導してたのかな。
それとも各建築の壁面位置に関する自省的な取り組みの欠如なんだろうか。「町」をつくりだす動機が閑却されたよな、いつの間にか。
いや、こういうことを思いつきたくなかった安易への傾斜、自閉のせいなんだろうな。

だけど、できてしばらく経って訪れてみたら例の引き込み道路で家族が総出で遊びまわっていてとても嬉しかったことを思い出す。
おそらく家族構成もクラスも揃って、かつ、身元がはっきりしてる向こう三軒両隣の良さ(当然dutyも覚悟してるだろう)。

ああいうことに価値を観てみようと思いだした。「夜の明かりが灯る街角の飯屋で集う(イタリアの)大人の男たち」を見て以来。
ほんとにね、男が孤立してるんだよ、この地では。dialogueが欠けてるんだ。町の風景に、町に。ほんとに見ないんだよ。片輪みたいなんだよ、日本って。
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-11 06:27
確かにそうですね。日本は男がひとりぼっち。先日,下の廊下で薪を切ってるおっさんに,「うるさいから外でやってくれよ!」て言ったんです。2,3日してから,道で彼と出くわして,ちょっと気まずい思いがしたんで,「ア,面倒」って思ったら向こうから寄って来て「ごめんごめん,この間は。」て言うから,「いやいやこっちも騒音にちょっと神経質になっていて」て答えてお互いニッコリ。こういうのって,なかなか出来ない外交術でかなり本当はイタリア人って繊細なんです。これは相当「大人」じゃないとできないことでその意味では日本の男は一生ほ乳機のの中にいるから子供なんじゃないかな,と思ったりする訳です。
Commented by msak@h5.dion.ne at 2013-04-15 11:58 x
お久し振りです。広場の話しは興味深いですね。先日自宅から遠くない場所で、色や形が揃った分譲住宅らしき住宅が並んだ街並みに遭遇したのですが、かなり違和感が有りました。乱雑な街並みに自分の目が慣れてしまっていると言う事も有るのでしょう。なかなか難しい問題です。
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-17 21:19
広場は計画できるのかと思ってしまいます。およそ、計画して作られた広場で、魅力を感じたことがありません。偶然と時間による変化の重なりの中でしか、魅力的な広場はできないのかもしれません。あまり言葉が好きではありませんが、「町並み」も同じかもしれません。