コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2014 09 02 愛と寛容のマリア
自分はカトリックではないけれども、イタリアにいればこうして至るところで、愛と寛容のマリアが人を見つめている。
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何でもネットでみる事ができるから,結局毎日日本のニュースをみる事になる。ちょっと毛色の変わったハフィントンポストにも目をやる。今日の一面トップは,太地町のイルカ漁が解禁になったけど,世界では抗議運動が起こっているというものだ。
昔,自然保護の専門の方と話していた時に、じゃあ,日本は海に囲まれているのだから鯨を飼育して育てるようにしたらどうなのか,という話しが持ち上がった。牛や豚はそうしているのだからと。でも,こんな議論も含めて、イルカが知性の高い動物で可哀想だからとか,それが日本固有の文化だからとか,そんな議論は結局水掛け論になってしまう。「理屈」の上ではどんな反論も成り立ってしまうからだ。
議論の本当のところは,日本は世界でも有数の存在感のある国であり,「世界」の中で,つきつめて言ってしまえば西側諸国の国のひとつとして,世界に参加しているのだから,価値観をある程度,共有して行こうよと,そういう世界からの日本に対する呼びかけだということだ。それに対してどうも、こんなに重要な国になったのだから、自分のしたいようにすれば良いじゃないかという言動がいろんなところでかいま見られる。
日本が,極東の辺境の国で,ほとんど世界に対して影響力のない国だったら,誰もイルカ漁をするなとは言わない。実際,極北の地で住む人々は,猟によって糧を得ていてそのことを批判する人はいない。これだけ経済が成長した日本であえて,なぜイルカを捕らなければならないのだ,必要性がどこにあるのかと言う訳だ。もちろん,今現在,イルカ猟で生計を立てている人にしてみればそれは死活問題だから「はい」という分けには行かない。だからこそ,国があるし地方自治体がある。大きな流れを見極めて,その方向に導いていくために人々を助けるのが,政治や行政の役割以外の何物でもない。
どうも公はいつも反対側に動こうと、いや動かずにじっとしていて、最後に結局弱い立場の人を見放すってことをしたがる。
よく考えてみれば、これだけ世界の人から風当たりの強くなった太地の人たちを、世界の人が間違ってるんだから、お前達頑張れと傍観し、当然、強い風当たりに耐えられなくなり、潰されてしまった時に、それ、お前達がいつまでも馬鹿なことをしているからだと、何も助けないという結末はもう目に見えている。
こんな悲観的な見方をするようになってしまったのは、やっぱり3月11日の結末を見続けているからだろう。愛と寛容のマリアさまがいつも上から見ているというのも、悪く無い。
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by kimiyasu-k | 2014-09-03 06:19 | Comments(0)