コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2014 09 08 ジャーナリズムについて
イスラム国に二人のアメリカ人ジャーナリストが,残忍に殺害された映像は,イスラム国の恐怖をこころに刻み込んだ。平和なところに住んでいれば、そのような場所がこの地球のどこかにあることを現実感をもって受け入れることはなかなかできない。
過去に戦場で亡くなったジャーナリストは数多い。こんな運命が待っているかもしれないのにジャーナリストは何故,戦場に赴くのか。「戦場」という極めて人間的で非人道的な場で起こっている真実を,世界に伝える為,強い職業意識という答えは「正解」なのだろうか。
今回のジャーナリストの殺害を見た世界は,オバマ大頭領が発したメッセージを受け入れた。アメリカが徹底的にイスラム国を壊滅させるという。
良く考えてみると,二人のジャーナリストの殺害が本格的な「戦争」を引き起こしたことになる。二人の個人の殺害が国家間(イスラム国は決して国家ではなく集団にすぎないけれど)の戦争を引き起こし,おそらく数千人という犠牲者をこれから出す。
戦場という真実を伝える為に出向いた2人の犠牲が,数千人の犠牲者を引き起こす,少なくとも引き金になるとしたら,それは余りに「逆説的」な現実だと思う。
ヒマラヤの8000メートル峰に毎年挑戦するアルピニストに,何故山に行くのか聞いても,答えは無い。8000Mを目指したアルピニストの生存率は50%しかない。生命をかけて山に登る。おそらく人としての根源的な「衝動」が登山家を山に向わせる。
真実を伝えるという大義があるかも知れないが,登山家と同じような個人的な「衝動」がジャーナリストを戦場に向わせるのだとしたら,戦争が引き起こされるというその代償は余りに大きすぎるように思う。
もちろん、ジャーナリストの殺害がなくとも何らかのきっかけで、戦争は起きるということは承知だけれども。
[PR]
by kimiyasu-k | 2014-09-08 19:07 | Comments(0)