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コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2014 12 06 ゴシック建築
コモ サンタボンディオ教会(盛期ロマネスク建築)
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COLORSCOPAR 35mmF2.5
先日,大学の恩師から本をお送り頂いた。先生は,戦後すぐ建築史の研究のためにフランスに渡りゴシック建築の研究と歴史的建築物の保存という日本ではまだ誰も見向きもしなかった建築の分野に手をつけられた。
当時,建築は「機能主義」が席巻していた。モダン,近代建築はほとんど機能と同義語で,建築の形も機能という名の下に正当化されていた。そんな時代の潮流の中で,ゴシック建築のもつ魅力が,機能とは全く別の次元で発生していることに確信をもち,渡航された。しかし逆説的にもパリでであったのはヴィオレルドュクというゴシック建築の合理主義的解釈の巨匠の考え方だった。ゴシック建築が全て構造的な合理性から説明できるという、今となってはその事自体が当時の人々の新しい世界の捉え方だったことに気づくが、それが正論として認められていた。
それからモダン建築、機能主義建築は70年代に現れたポストモダンという、一見新しい潮流によって乗り越えられたかのように思えた。
しかし今となってみれば、ポストモダンは、機能主義建築を乗り越えないままに、逃げ道を作り出したに過ぎなかった事に気づく。
そしてこの逃げ道は、今ではグロバリゼーションの大きな資本の力学の中で、建築を真面目な顔を装った「ディズニーランド」へと変貌させた。
ほとんど中世、ルネサンス時代から姿を変えずに生き残ったイタリアの小都市コモに生活してみて感じるのは、日本の都市は日増しに、非人間的な、虚構の環境へと変貌をとげ、落ちるところまで落ちてしまったという事だ。
それが新しい都市の姿だと自己弁護する建築家や官僚は、もうどうでも良い、電線を地中埋設にすれば都市が美しくなるというほどの知恵しか持ち合わせていないのだから。
震災というかけがえのない「機会」が目の前にぶら下がりながら、それが見えないのは余りに愚かしい。
by kimiyasu-k | 2014-12-08 03:32