コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 04 02 下校 ウルビーノにて
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4
10年程前にウルビーノは行った事がある筈なのに,全く覚えていない。いくら最近物忘れが激しいといっても、これはちょっとひどすぎる。脳の老化を防ぐにはどうしたら良いか分からないけれども,せめて単純な計算くらいは電卓使わずに手計算しようと思う。
そのウルビーノの街は,煉瓦の街で,車を停めて街の中に入れば,改めて美しさに驚く。訪れた日は丁度雨だった事もあって、街の色は更にしっとりとしていたのは幸運だった。日本から来れば,イタリアの街はどこも古くさく,まあ何となく同じような街に思えるかもしれないけれども、石でできた鼠色のコモの街に住んでいれば、こうして煉瓦の暖かい色に包まれた街に来れば,その違いに衝撃を受ける。丁度お昼頃に着いた事もあってか、学校が終わり街は学生で溢れていた。若い人であふれた中世の街は何とも「良い感じ」だった。活気があった。小さなウルビーノの街に立派な大学がある事が,決定的に街に活気を与えているように思う。
それにしても、この若い人達は恵まれていると思う。自分が生まれ育った街が長い歴史を持ち,ラファエッロのような画家を輩出した文化的な街であり、現在でもなおこうして美しい住環境を提供してくれている、そして世界中から人々が自分の街を一目みようと集まってくる。
もちろん、日本にもそんな街が無いわけじゃあ無い。でも、大方の日本の地方都市は,どこに行っても同じ「顔かたち」をしており、どこの駅に降り立っても大した違いは無いのが現実だ。自分が生まれ育った静岡の街も,嘗ては駅舎はクリーム色のタイルの張られた全国にひとつしかない駅だったし、ファサードのアーチの連続するアーケードが印象的だった。実家は製茶工場や製材所の集まる準工業地域だった。それが今ではバイパスができたことで、そして多くの工場が廃業したことで、巨大な雑貨店や薬屋,パチンコ屋,チェーンのラーメン屋などの並ぶ何とも味気ない姿になってしまった。
考えてみればこのような貧しい日本の街の姿は、市場原理というアリバイのもとに生まれた無法地帯と言っても良いと思う。戦後の日本の都市計画の根幹にあった理念は用途地域,つまり「機能主義」だった。そこに「市場主義」の網がかかることによって日本の街は完全に個性を失い,「人が心地よく住む環境」から「消費戦争」の繰り広げられる無法地帯へと変貌した。そろそろ、政治家も行政も,そして都市計画家や建築家(そもそもそんな人々が日本に存在するのかも疑問だけれども)は動き出さないと日本は巨大なラスベガスと化してしまう。砂漠だったラスベガスは良いけれども、日本にはウルビーノの街が持っているような歴史があったのだからそれをこうも簡単に捨ててしまうというのは余りにもったいない。
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by kimiyasu-k | 2015-04-02 13:19 | Comments(0)