コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 06 05 船着き場のあるトルノ村の広場
船着き場のあるトルノの広場には、夕方になると鴨が集まる。
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見るのはネット新聞だから紙新聞でどのように報じられているのかは知らない。気をつけなければ見落としてしまう程だけれども,現政権の太鼓持ちの新聞でさえ「自公推薦の憲法学者、安保法案は「憲法違反」」と報じている。衆議院の憲法審査会に招聘された三人の憲法学者が,安保関連法案が、集団的自衛権を巡る法案が憲法違反であることを表明した。つまり現政権が行おうとしている安保に関する政策が、憲法に違反しているという「事実」を突き付けられたわけだ。国民の選ぶ道は二つしか無くて,「現政権の法案を廃案とする」か、「憲法を改正するか」のどちらかしかない。これはもう、首相が良い悪いとかといった話しではなくて、国民ひとりひとりの道徳的な問題であることはあきらかだ。つまり日本を法治国家とするか、そうではなくて、ある絶対的な権力によって統治してもらう国にするか、そういう問題を突き付けられている。それでもリベラルな新聞でさえも,この問題をまるで三面記事のように扱っているところを見れば,確実に日本はまるで歴史を逆行するかのように、後者の道を選ぼうとしている。
でも必ずしもそれが悪い事だとは言えない。日本は世界の先進国の中で唯一,「飛び抜けて優秀な指導者」によって運営を任された「近代国家」であっても良いと思う。それをみんなが望んでおり、下手なポピュラリズムによってとんでも無い方向に進んでいってしまうよりは。江戸時代を見れば,350年にも渡り,徳川家という「飛び抜けて優秀な指導者」によって戦争もおきる事無く,文化を成熟させ、人々もそれなりに満足して暮らしていたのだから。
(もちろん最後の節は皮肉ですから、変に勘違いしないでください!この歳になって分かったことは所詮ひとはドングリの背比べで,一億もの人間の上に立って全ての価値観を理解してその瞬間に最良の選択ができる人間なんて,つまり飛び抜けて優秀な指導者なんて存在しないという事です。そのような場に置かれているから、例えば首相というような場に置かれているから何かとんでもなく優れた人のように思えますが,元首相という人達が誰もが普通の人に戻って行く事をみれば、絶対的に優秀な人なんて居ません。)
イタリアに暮らして思う事は,こういう「根源的な問題」を日本人は「現実の事」として受け止める力に欠けているのではないかと思う。「現実」を直視して、自分で考えて,判断し、意思決定をして、自分を規定していく。何も難しい事だけでなく日常生活の些細な事も全て含めて。まるで思考が停止してしまったかのように何となくその場の「空気」に流されていき、気が付いたときにはとんでもないところに立っていた、という事がよく起きる。その最も典型的な例は第二次世界大戦だし,フクシマの原発事故だし、おそらく今回の集団的自衛権をめぐる国の暴力(戦争)に対する立ち位置だと思う。
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by kimiyasu-k | 2015-06-05 13:00 | Comments(0)