コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 10 08 建築
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人気のない過疎村エルノを歩き回っていると,「建築」が目に飛び込んで来た。鍵カッコ付きであえて建築と書くのは所謂単なる建物では無くて,建築家がかなり強い意匠上の意図をもって作った建物だからだ。もちろん新築ではないから作ったというよりも古い建物を改修したと言うべきところだけれども、あえて建築を作ったと書くのは,オリジナルの石積みの家は決して「建築」ではなかったからだ。つまり建築家が改修する事によってはじめてこの何の変哲もない「建物」は「建築」へと姿を変えた。
具体的に一体何が目に飛び込んできたかと言えば、サッシのプロポーションと色,上の窓の壁小口のモルタルの収め方、下の窓のアーチの石とサッシの関係,そして家の前景となる樹,石の壁の目地の処理,おそらく建築設計をしている者にしか気付かない事だろうけども、わずかにそれだけで、他の普通の建物とは違う事を,建築であることをこの家は主張している。そしてそれもかなり「良き趣味」をもった建築家によるものだ。
例えば上の窓では、窓横の石をモルタルで塗りつぶして見せないようにしている。石は一面しか見えないために二次元的な表現,あたかも「張り物」であるかのような感じがする。一方下の窓横の石はモルタルで仕上げしていないために、石の二面が正直に見えるから三次元的に本物の石であることを見せている。このように、素材に対して,レトリカルに表現を変えることで、石のもつ魅力を意識的に創り出している。色にしろ、窓台にしろ同じような意思がこの建物には表現されており、その結果この建物は単なる建物ではなく「建築」になっている。
もう数十年前に日本の著名な建築家が大文字の建築Architectureは終わったと書いていたのを思い出す。実際、丹下健三の設計した代々木の競技場と幻となったハディッドの国立競技場案を比べれば,日本ではそれが事実かもしれない。でもイタリアにはまだこうして小さいながらも立派な大文字の「建築」が至る所に生きており,まぎれもなくそれがイタリアの街がもつ、建築のもつ魅力であることに間違いはない。そして大事なことは設計するものだけでなく、一般の人もこの「良き趣味」をもった建築を理解していることだろう。
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by kimiyasu-k | 2015-10-08 12:48 | Comments(0)