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コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 10 25
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たった2日半の初めての日本への旅で,所用を片付けどうにか半日の自由な時間の取れたダリオに、東京の喧噪と鎌倉の古刹のどちらに行きたいかと聞けば,彼は迷う事無く鎌倉に行ってみたいと答えた。結局は自分の知った交通の便の良いところが良いだろうと,北鎌倉の駅からすぐ着く円覚寺に行く事にした。
電車に乗って、どこまで行ってもびっしりと建物の建ち並ぶ景色を眺めては彼はあきれ果てていた。けれども、北鎌倉に来れば突如として、深い緑が線路際まで迫ってくる。
石の階段を少し登り、どちらかと言えば控えめな総門をくぐれば,その先には,階段の向こう側に今度は立派なモニュメンタルな山門が見える。こんなに魅力的なアプローチはなかなかお目にかかれない。期待感に自ずと気持ちは高ぶる。
力強い貫構造の構築性と美しく繊細な曲線を描く山門は,たとえそれが江戸期の再建であっても、木造建築の本質が凝縮されている。時間が経って木目の浮き出た骨太の柱貫の素材感もこの建物の存在感に大きく寄与している。
残念ながらコンクリートで再建された仏殿はあれこれ言うには及ばないが,山のずっと上に位置する黄梅院までの道すがらに配置された様々な建築を巡る自然と織りなす空間体験は,円覚寺独特のものだ。まるで国中が文化遺産のようなイタリア人にも,自信をもって見せることができる。「ここに連れてきてもらって良かった」、とりわけ建築や文化に興味をもっているわけでも無い彼が言ったのは、決してお世辞では無かったと思う。

こんなに素晴らしい建築空間に対する感性を磨き続けたきた日本人の住む現代の家の貧しさといったら、一体何なのだろうか。最先端の技術で紙に木目をプリントした建材や、まるで本物のクロスのようなビニールを壁にはり、石や煉瓦を模したサイディングボードで覆われ、数年で見るに耐えない汚れと化してしまうプロスチックの雨樋を冠して,おそらく下はもう腐りかけているコロニアルを屋根に葺いて,それが今の日本の住宅の「標準」だ。99%以上の新築の住宅は,このような本物に似せたエセもので出来ている。ここに様々な電子化の厚化粧をしたのが「日本の家」だ。用を足そうと思えば,自動的に蓋が開く。施錠はカードで、スマホひとつで空調までしてくれる。まるで自分が子供のころに思い描いた「未来」がそのまま形になっている。でもそれが建築の進化だと思ったら大間違いだ。それは住宅のもつ一側面である道具としての機能の利便性でしかない。
建築の分かる者なら誰でも気付くけれども,戦後の日本が失った「建築」という文化を思うと目眩がしてくる。一体誰に責任があるのか考えてみれば、その専門家である建築家が何らモデルを提示できなかったことや、大企業の独占的な産業構造や、無能な建築行政、暴力的な商業主義,無数に要因が挙げられる。
日本は家を作る社会的なシステムがおかしい。その事に気付いているものはほとんどいないし、その傾向はどんどん加速され目も当てられないような家が作られ続けている。









by kimiyasu-k | 2015-10-25 14:19