コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 11 22 VENEZIA 10
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4
1995年地下鉄でサリンがまかれるという日本の戦後史の中で最悪の犯罪が起こったのはもう20年前だ。テロだ。救済という名のもとに頭のおかしい教祖とそれに追従した信者の引き起こした反社会的な事件であり、裁判によって彼らは裁かれた。
パリのテロ事件は,狂った凶悪なISの戦闘員の自由民主主義を謳歌するパリ市民,西側体制への挑戦だ。空爆によって自由主義者たちは、凶悪の根を絶つという方法に打って出た。それは確かにある程度の成果を上げるだろう。
オウム事件が日本という小さな島国で起こった事件に対して,パリテロ事件は,世界地図が必要な国際的な事件であるという違いがあるにしても、二つの事件に共通した「動機」があるような気がしてならない。
それは、テロ行為を行ったものたちが置かれていた立場だ。端的に言ってしまえば彼らは世界に対して,「疎外感」「孤立感」を持っていた。逮捕してみればテロ事件を起こしてオウム教の信者達はみな高学歴であり、決して無知な人達では無かった。テロという行為が、倫理的に明らかに認められることでは無い事が分かるだけの知性を持ち合わせていた人達であったはずだ。それが一体どうしてあのような行為に至ったのか。そこには「感情」の問題が大きく関わっていた。破壊的な行為に至った本当の理由はそこにある。一体そのような破壊的な感情を生み出した原因に何があるかと考えてみればそこから見えて来るのは現代社会の、世界の様態だ。民主主義の本来の姿が、平等という概念であるのに、現代の社会は、世界は、きらびやかな中心とみじめな周縁という大きな構造を生み出した。そして、その傾向はどんどん強まっている。民主主義という理念の基に出来たのは、決して平等で誰もが均等に幸福を享受できる社会ではなく、むしろ世界を大きく分割してしまうような不平等な社会であった。勝ち組/負け組という図式,どんどん加速する経済格差、そのような図式が生み出す「周縁」の人達に引き起こす「感情」が、中心への破壊的な,自暴自棄的な感情がテロを引き起こした。ここにあるのは、政治理念の対立でも,宗教的な対立でもない。
彼らに凶悪者というレッテルを貼る単純な西洋の論理的、空爆では,テロは解決しない。彼らは中心から疎外された孤立した人々だからだ。現代社会の図式を変えていかない以上,テロリストは再生産され続ける。
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by kimiyasu-k | 2015-11-22 13:29 | Comments(0)