コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2016 02 09 色彩をもたない
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EPSON R-D1 NOKTON40mmF1.4
久しぶりに「本」を読んだ。(イタリアへの)帰国のとき,成田空港であのどうしようもなく無駄なボーディングの待ち時間は「本屋」を徘徊する。それはまるで帰国のための儀式のようになっている。それも文庫本の書棚しかみない。重くてかさばる本を機内に持ち込むのは気が引けるし,家に大きな本が溜まって行くのはもうこの歳になると勘弁してもらいたいからだ。でも,空港の小さな書店に置かれている本の数も限られているし,自分の興味もここのところぐっと限られてきてしまっているからなかなか読みたい本はみつからない。でも今回は,あった。村上春樹さんの,「色彩をもたない多崎つくると,,,」という本だ。
村上さんの小説は面白いから文庫本があれば必ず買う。必ず買う他の作家に椎名誠もある。全く正反対の,無関係のこの2人の作家のものは必ず読むというのだから随分支離滅裂と思われるかもしれない。2人に共通したことがあるとしたら,それは自分より少し上だけれども同じ世代の2人ということだ。だからおそらく自分が生きて来た半世紀を、彼らも同じような年齢で生きて来たという事が,自分にとってどこか親近感を感じさせるのだろう。今回は新刊文庫の椎名誠は無かったから村上春樹さんとなった。椎名誠は呼び捨てで,村上春樹さんは,さん付けで呼ぶのは,村上さんがノーベル文学賞を取るんじゃないかというほどの立派な作家であるからという訳ではなく,何となく椎名さんは呼び捨てが相応しいけど,村上さんはさんをつけて,ちょっと向こう側に置いておいた方がフサワシイ感じがするからだ。
飛行機の中で読み出した「色彩をもたない多崎つくると,,,」は面白かった。一気に読み通したと言いたいところだけど,歳のせいか物理的に視力のほうが追いついていけないから,結局イタリアに戻って日曜に読み終えた。
いつも思うのだけれども,村上春樹さんの小説は,面白いけど,「嫌い」だ。嫌いなら読まなければ良いと言われそうだけれども,面白いから読む。何が面白いかは,きっと立派な文学評論家がいろんなところで書いているから良いとしても、一体何が「嫌い」なのだろうか。偶然今回の「色彩を持たない,,,」は名古屋と東京というふたつの地理的なくくりの中で展開している。学生時代を名古屋で過ごし,こうしてしばしば東京で仕事をする自分にはこのセッティングだけでぐっと引きつけられてしまう。小説が現実の空間に投影できるからそれはやっぱり関心がつよまる。
一言で言ってしまえば「何か、気恥ずかしい」のだ。ほとんど嫌悪感と言ってしまえるほどに「色彩をもたない多崎つくると,,,」の物語が、そして村上さんの他の小説の空気も、余りに自分の20世紀を生きてきた時空間に一致してしまうというのが。村上さん、もういいじゃないか、あの時代の、あの感性の、若者たちの心のあり方を、どこかお洒落に描く事は。たとえそれが時代を超えて世界中の人々に受け入れられる普遍的な人のこころの揺らぎであっても。おそらく「嫌い」という気持ちが湧くのは、擦り傷がひりひりと痛むように、彼の小説は昭和世代の若い頃の、純粋でありながらどこか軽薄な、感情のコンプレックスに触れるためだろう。
若いイタリア人女性に「色彩を持たない,,,,」がどんな本かを話すと,「何それ,日本の漫画じゃん」と「じゃん」を付けて言ったのが結構村上文学の核心を突いているのかも知れない。











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by kimiyasu-k | 2016-02-10 01:46 | Comments(0)