コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2016 03 08 MORANDIふうの
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EPSON R-D1 NOKTON40mmF1.4
フィルム写真だったころは,フィルム,引き伸ばし技術,で出来上がりの写真にはかなりの「限界」があったけれども,デジタルになってからは,データーを処理すれば,どんな画像でもつくり出すことができる。カメラで撮った「写真」はフィルムに焼き付けられたイメージではなくて,データー素材になってしまった。
写真が好きな人は,このデーター素材に手を入れる事は,どうも「道徳的」に反することであり,できればカメラから取り出したデーター写真が,清く正しいと思っている,し,自分もコンピューターを駆使して,手を入れて行く事には何となく抵抗を感じる。
でも考えてみれば,センサーから取り出したデーターをカメラ内でJPEGに置き換える段階で,メーカーのかなり恣意的な,個人的な電子操作が入っているわけで,その時点ですでに「写真の純粋さ」みたいなものは失われてしまっている。なのでもうあとは,フォトショやらライトルームやら,複雑怪奇なプログラムを駆使して,手を入れまくっても大同小異という気がしないでもない。でもやはりデジタル時代になっても,フィルム時代に撮った「正統的写真」みたいな根強い「固定観念」から離れることは出来ない。
絵画では,19世紀末に近代絵画が始まった時に,それまでの絵画が最も重要視していた描く対象の「写実性」は全く重要性を失い,観る側の受け止め方が最大の関心事となりピカソ,ゴッホやらモネなどという全く恣意的な,個人的な近代絵画がもてはやされるようになった。
それに比べれば写真というのは何ともはや保守的なもので,まだ対象の写実性のジレンマから抜け出すことができない。だから写真として留まっていられるとも言えるのだけれども。
などと,随分,「テツガク的」な事を考えながら,ああモランディの絵はいいなと思って,静物写真を撮ってフォトショでこねくりまわしたのだけれども,何となくブログにのせるのが憚れるのは,やっぱり自分はかなり「保守的な」人間だという事で,分かったような分からないような事になった。
ここまで書いて気が付いたのだけれども考えてみれば,現実は,もうフィルムを知らない人達が写真を撮っているのであって,まったくああだこうだというのは年寄りの飛んだ的外れ議論に過ぎない。なんと無駄な時間を過ごしてしまったのだろう。























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by kimiyasu-k | 2016-03-09 14:31 | Comments(2)
Commented by pipopapo-d at 2016-03-09 22:57
私もデジタル写真に関しては保守的です。RAWデータは捉えた光情報が詰まっていると思っています。カメラ内JPEGはRAWの姿の一面と思いますので、RAWをSigma Photo Proなどの現像ソフトで調整している範囲内では嫌悪感はありませんが、Photoshopなどのレタッチによって元々からあった光情報以外のレタッチ情報が加わると急に嫌悪感が湧いてきます。
Commented by kimiyasu-k at 2016-03-10 14:25
先日ある写真展で,かなり派手に加工した写真を見て「なかなか良いな」と思ったのでこんな記事を書いてみたのですが,結局どこかで自分はフィルム時代の写真に近いほうが「正しいデジタル写真」で好きなんだと気づきました。
不思議なもので照明器具もLEDの光はどうも馴染めず昔の白熱球が好きです。