コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2016 07 04 標準レンズ
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壊れてしまってEPSON R-D1が使えなくなってからしばらく時間が経ったけれども、やっぱり他のカメラではどうもしっくりこないので、エプソンで撮った写真をつい懐かしんでしまう。圧倒的に緑が写せない,他のカメラでは。あとフォクトレンダーの40mmとの相性がとても良くて,自分のみる世界、見たい世界と一致している。これ以上の画角だと見る対象との距離感が遠くなってしまうし、微妙なことろだけれども50mmだと世界を「拡大」してしまうし、そんな遠くをはっきり見る必要は自分にはない。
一昨日は、この歳になって、この歳だからなんか誕生祝いみたいな昼食を自宅の庭でごくごく親しい人だけとした。外国に勝手に「移民」してきて暮らしているから親戚は独りもいないし再生産もなかったから、たいした人数じゃあ無かったし、木陰の涼やかな風が、マルチェッラの作ってきてくれたケーキに立てた蝋燭の火をかき消してしまい無数の炎をともす事はできなかったけれども、やっぱりこうしていっしょに祝ってくれる人がいるってのはかなり幸せなことで、幸運でもあったな、なんて事をしみじみと感じたりして、かなり良い日だった。
もちろん遠くを見たり,世の中を広くみたりすることは大事だけれども,結局人が気持ち良く生活するためには、ごくごく身の回りの,自分が直接手でふれることの出来る,自分で感じることのできる世界がどうかということが問題のような気がするし、それをもっと大事にしなければいけないような気がする。それは丁度写真で言えば40mmのレンズみたいなもので、これ以上の広角レンズでは余りにいろんな情報に惑わされてしまうし、望遠でははっきりと見え過ぎてしまい心配になり気が休まらない。インターネットというのは広角から望遠まで自由に使えるズームレンズみたいなものでかなり便利なものではあるけれども、ちょっと写真を齧ったものならすぐ気が付くけれども結局ロクな写真は撮れなくて単焦点レンズの足下にも及ばない。
有名レストランに行かなくても,話題の新商品を買わなくても,世界遺産を訪れなくても,40mmの単焦点で見れる自分の身の回りに無限の豊かな世界が広がっている。若い頃は、イタリアに行きたいなんて超望遠のレンズで世界をみることできたけれども、とてもあんな重いレンズを使える歳ではなくなってしまったので標準レンズの付いた,発色の良いカメラが一台あればそれで十分だ。この次帰国するときには、日本に置いてきてしまったもう一台のR-D1をとってくる事にしよう。




















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by kimiyasu-k | 2016-07-05 05:40 | Comments(4)
Commented by pipopapo-d at 2016-07-06 20:57
お誕生日おめでとうございます。
興味深く読ませていただきました。画角が目とシンクロしてしまっているのですね。わかる気がします。DP2の41mmからm8の66mmを使い出したときは、とても狭く感じました。自分の距離感じゃないぐらいです。今は慣れてしまい、DP2は中途半端に広く感じています。
Commented by kimiyasu-k at 2016-07-07 23:38
ありがとうございます。いつの間にか時間が経ってしまい、この歳で焦っています。
カメラを通した「視界」というのは本当に不思議ですね。広角や望遠を使ったイメージというのは現実ではないような気がするのですが、「標準」のイメージも本当の現実とは違った、自分の思い描いているだけの「現実」かもしれません。
Commented by masaaki at 2016-07-08 18:50 x
お誕生日おめでとうございます。今はズームレンズが当たり前のように思ってしまっていますが、子供の頃母親は短焦点レンズの付いた一眼レフカメラを使っていました。なにか考えさせられます。
Commented by kimiyasu-k at 2016-07-09 07:31
どうもありがとうございます。
図面も同じですね。手書きのころはスケールが単焦点だったのに今は、ズームすると50いちの図面にサッシの実寸の情報まで入っていたりして。きっとそういうことを問題にすること自体が歳をとった証拠です。