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コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2016 12 20 アンドレアの実家
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何もアンドレアの実家などと言わずにルイジの家と言えば良いのだけれども,まず知り合ったのが若い学生の頃のアンドレアだったからアンドレアの家といつも呼ぶ。だから付合うようになった父親のルイジは実際には同世代なのだけれども何となく友人の父親のような気がしてやっぱりアンドレアの家と呼んでいた。でももう数年前にアンドレアは結婚してコモに移り住んでしまったのだから、今はアンドレアの実家というわけだ。村の広場から見下ろせるこの灯りの付いた家が、ルイジと奥さんのカルラが住む家だ。昔,といってもおそらく80年くらい前まで,この家は,紙漉の工房だった。ネッソ村は、山から湖に注がれる水が豊富だったから、紙を作ったり,大きな紡績工場があったりして、100年程前までは,湖畔の「工業地帯」だった。
話しをもとに戻すと,このルイジとカルラは年中行事のように毎年一回,カッスオラに招待してくれる。カッスオラというのは、大量のキャベツと豚の肉(本当は耳なんかもいれるみたいだけれども)、皮をキャベツが溶けちゃうくらい煮込んだこの地方の田舎料理で,まあどう頑張っても、「ああ,美味しい」という風にはならないけれども、キャベツができる季節には,必ず一度は食べておかないとなんとなく物足りないという料理だ。とはいえ、そのような文化的な,歴史的な背景の全くない自分たちにとっては、「ああ、来たか,今年も。」って感じだ。昔この辺りの農場では、冬に向かうにあたって、豚を屠った。だから、この季節には農場の人たちが集まって、お祭りのように大きな鍋で豚とキャベツを煮て祝った。ルイジは精々キャベツ2、3個だったけど、隣のフィオレンツォがカッスオラを作る時は10個くらいのキャベツを使う。だから鍋もとびきり大きなものが専用にキッチンの棚の上に置いてある。
据え膳喰わぬは男の恥,じゃあないけれどもかなり酷い給食を無理矢理食べさせられた自分たちの世代は,なんでも食べないといけないという「動物的条件付け」がされているから、盛りつけてくれる量をかなり気にして「ああもうそれくらいで良いのに」なんて心の中で思いつつもにっこり「待ってました,美味しそう」みたいな顔を平気でしてしまうところが何とも悲しい。イタリア人の若者たちは平気で,「カッスオラなんて食べない」と公言して憚らないのに,なんで日本からきた自分は,食べちゃうんだろう,刷り込まれた文化というやつは恐ろしい。
今年はそのカッスオラの昼食会というのはもう一月ほど前に終わってしまった。それが、今年は何故かカッスオラが随分,美味しく感じられたのだから不思議で仕方がない。もちろん前日は「明日はカッスオラを食べなきゃいけないから、お腹を空かせておこう」などと食事制限もしていたのだけれども、それにしてもあのカッスオラを美味しいと感じられるのは、自分の中で,かなり大きな変化があったという事だ。味覚の好みというのは、おそらく外国に移住した人々の最後の砦みたいなところがあって、ちょっとやそっとの事では変わらない。例えば、恐ろしく奇麗なのに味の無いトウモロコシ粉を煮たポレンタはなんてマズいものの最右翼だったけど、寒さを感じると今年もそろそろポレンタの季節だなあ、食べたいな、なんて思うようになるには10年くらいかかった。このカッスオラを美味しいと思うようになるには30年近く要した事になる。そういえば、反対に一週間も日本に居るとたまらなく醤油やご飯の臭いが鼻について、何だこれはと驚いたりする事がある。外国暮らしは、言葉を心配するのが日本人の常だけれども、実際には言葉は必要でできるようになるけれども、「味覚」だけは根源的な事なのでかなり難しい。一週間も外国にいてすぐ日本食に郷愁を感じてしまうようだと、やっぱり外国暮らしは結構厳しい。




























by kimiyasu-k | 2016-12-21 06:25