コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2017 01 07 聖域

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Sigma SD-15 08-16mm F4.5 Santa Maria del Tiglio Gravedona
広告代理店ひいては日本の職場の過酷な労働実態が取りざたされ,社長が辞任、政府も重い腰を持ち上げたという感があるけれども、それだけでは日本人の労働は変わらない。24時間のコンビニも、休日無しで営業するお店も、便利だし,明日が納期といえば必ず明日ものが届く,電車は1分遅れはあり得ない、レストランで料理を待たされることが無いのもみんな当たり前の事のように思っているけれども、世界に類をみないこんな日本の驚異が、美辞で語られる「勤勉さ,真面目さ」のためではなく、実は労働者の犠牲に成り立っている事を意識しないといつまでたっても状況は変わらない。夜中の3時に開いているコンビニって本当に必要なのか,何かの事情があって電車が3分遅れてきても仕方がないと、レストランで料理が出るのに時間がかかってもお喋りして待つ時間を楽しむ,そんな「寛容さ」がなければ必ず誰かがどこかで「無理」をしてそのしわ寄せが過労自殺みたいな結果として表れる。明日欲しいというお客さまに、明日からひと月バカンスなので、お届けできるのはひと月後になりますと、勇気をもって言えなければ、そして自分がお金を払うお客さまだからと言え、ひと月待つだけの余裕がなければ過労死は無くならない。仕事は聖域にあるわけじゃあない。










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by kimiyasu-k | 2017-01-07 22:52 | Comments(2)
Commented by mobulamobular at 2017-01-08 22:49
御意。他方、時間の観点からはどうでしょうか。具体的には事務所の女子社員が毎日5分10分遅れて出社したり、決まって時間通りには始まらない会議や会合等々。「10時」と言えば、「10時前は絶対なく、10時10分くらいから11時ごろまで」という意味と"正しく理解する"こと、はどうでしょうか。「そんな寛容さ」が日本人社会に定着するとは甚だ疑問で、しかし、それなしでは(過労)自殺は無くならないとなると、やっぱり日本社会はどこかで一度止まらないといけない気がします。
Commented by kimiyasu-k at 2017-01-09 06:29
おそらくポルトガル語も同じと思いますが寛容はイタリア語ではtolleranzaで、もう一度日本語に訳すと「誤差」になります。基準寸法に対する許容範囲ですが,この誤差の部分は「大人」でないと状況に応じて判断できないので勢い日本では0になってしまいます。誤差がいいなら10でも良いじゃないかという子供は"北イタリア"にはやっぱりいなくて±0.2程度には収めている気がします。もちろんイタリア人相手に仕事するときはイライラがしばしばですが、最近は逆に日本人の意味のない±0.0にももう少し頭を使えと腹がたちます。
正確な時間にはじまり長時間かけて何も決まらない会議と、30分遅れではじまり短時間にすぐ結論を出す会議,個人的には後者の方を選びます。結局前者は丸一日を無駄にし,後者は30分を無駄にしただけですから。無駄な会議の資料作りで何日も徹夜して、自殺でもしてしまったら本当に意味がありません。