コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2017 01 23 コモ 月曜休みのカフェ
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4

それにしても「風たちぬ」は酷い映画だった。
発表された当時少し興味があったけれども見る機会がなかった。事務所のスタッフが図書館から借りたこの映画を見て,面白いからと薦めれて,まだ返却日まで数日あったので又借りして見た。
まずは主人公にとって「性能の良い飛行機を設計する=仕事」ということが、ある種の宗教的な聖性を帯びたものとして描かれている。電通社員の自殺に関して先の記事にも書いたけれども「仕事=聖域=殉教」という美意識がストーリーの軸になっている。それは情熱という言葉で形容すれば美しいけれども、ここまで行けば偏執、ほとんど脅迫観念と言っても良い。
そして技術者の純粋な「美しい飛行機をつくりたい」という押さえ難い衝動が結果として「優秀な殺人機械」を生み出す、という糾弾されるべき「技術者の倫理観の欠如」が、あたかも自然災害のような歴史の不幸として全面的に肯定されてしまっている。広島の市民を30万人殺害した原爆を考えてみればそんな事は明白だ。僅かのウランを核分裂させることによりこれまで人類が手にしたことのないエネルギーを一瞬に生み出すことの魅力、美学に取り付かれた科学者,技術屋が生み出したものが、一瞬にして数十万人を殺戮する悪魔の道具になった事実を前に,その科学者,技術者の純粋な衝動を褒め讃える事はだれもしないだろう。
さらにかくも魅力的な,結核という運命を背負った菜穂子があまりに男性主義的な「理想の女性像」として描かれていることにも驚かざるを得ない。菜穂子の生きる意味は、飛行機という情熱,仕事に打ち込む夫を思うことにある。そこには自分の命を犠牲にして夫への思いを貫くことが男尊女卑という視点から思い描いた「女性の至上の愛」であるという美学が表現されている。二郎と菜穂子の立場を逆転してみれば、この美学が全く成立しないことは明白だ。
宮崎駿さんの映画は結構好きで、日本の映画の中では骨太の見応えのある映画、人の根源的な感情を掘り下げる映画だと思っていたけれども、そしてどんな事情があってこの映画ができたのかは知らないけれども、これでは現代日本の社会心理学的な病根が,まるで人類普遍の「理想の姿」であるかのようなとんでもない履き違いをしているとしか言いようがない。このような映画が賞賛され続ける限り、過労死も、いじめも、人種差別も児童虐待も男尊女卑もなくならない。
仕事に対する個人的な情熱は分かったけれども,それはあくまで個人の問題であり、みんな誰か他の人間との関係性の中で生きている。その他の人をRISPETTO尊重,リスペクトする事がまずは第一だ。強迫観念的な情熱は単なるエゴイズムにしか過ぎない。ましてやそれが他の人を害するもの生み出す情熱だとしたら。
「芸術至上主義」、「科学技術者の倫理観欠如の容認」、「男尊女卑」、この映画の3本の柱がこれだ。素晴らしい作品によって名声を一度獲得した人が生み出すものが全て素晴らしい訳では無い。











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by kimiyasu-k | 2017-01-23 23:38 | Comments(0)