コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2017 03 14 命
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「いぬ」を飼い出して4ヶ月が過ぎた。これまで長年2人だった家のなかに新しい小さな「命」が参入したのだから、これはもう天地創造のような変化であって、今朝も4時にこの新しい「小さな命」に叩き起こされた。「命」という日本語をイタリア語に訳そうと思うとどうもぴったりする言葉が見付からない。近いところではVITAだけれども、VITAを日本語に訳せば、どちらかと言えば生活,生きるほうに近い。ANIMAは魂で、肉体を離れているような気がする。「命」というのは精神も肉体も含めた生き物そのもののもつどこか聖なるイメージさえ帯びたものだ。こんな生き物、世界に対する感覚に対応する言葉というのは西洋ではみつからない。「命」という概念は日本が歴史文化の中で,培ってきた世界の中でも特異なものだと思う。
「いぬ」が可愛くて仕方がない。この新しい家族の「小さな命」が大事で仕方がない。
日本人には,だから「命」に対する絶対的な尊重の感覚が備わっている。日本はその「命」を奪うための武器を他国に売ったりする国ではなかった。憲法9条は,何もアメリカによって無理押しされてできただけの憲法の条項ではなかった。それは日本特有の絶対的な「命」を尊重する心が,共鳴してつくられた条項だった。
確かに民主主義という形式上の手続きはとって選ばれたリーダーではある。でも、歴史をみれば一旦権力を握った人間が,狡猾に民主主義という道具を使って,独裁へと走っていった事例は無数にある。狡猾さは民主主義とは相容れない。
世界でもまれにみる長い歴史と伝統をもった日本は、「命」のような優れた精神文化を受け継いで、世界にひろめていく義務を負っている。世界中がこんなにきな臭くなってしまったのだから。




















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by kimiyasu-k | 2017-03-13 13:58 | Comments(0)