コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2017 05 27 言語化されない感情
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EPSON R-D1xNOKTON40mm F1.4   エルノ村にて
犬と暮らし出して半年が過ぎた。家の中で飼っているうえ職場にも連れて行くから本当にもう24時間一緒にいる。だから犬の感情が手にとるように分かる。嬉しかったり悲しかったり,つまらなそうだったり、満足したり。でもふと考えると犬はそんな様々な心の状態を言語化することが出来ない。つまり自分は今嬉しいんだ,ああこの人は怒っているんだなどと、思考によって感情を概念化することができないわけだ。これはよく考えてみれば、人間が思っているいわゆる「感情」とは随分異なったもののような気がする。犬達は,その瞬間に起きている外界の現象に対して,感情を引き起こしそのような身体的な反応を見せるのだけれども、それを過去や未来に投射して思考を組み立てることはできない筈だ。ひょっとして過去に経験した事象に対しておきた感情を,脳のどこかに記憶して、同じ事が起きた時に,同じような感情が引き起こされるのかもしれない。でも、過去に起きた感情を一旦言語化して「この人が憎い」「あの時は楽しかったなあ」「明日はおいしいご飯が食べれるかな」なんて、感情を思考へと移し替えることはできないはずだ。そういう意味では犬はいつもその瞬間、瞬間を生きていると言えるのかもしれない。過去に起きた事を悔やんでみたり、未来に余計な不安を抱いたりすることも無い。
確かに動物と人間を明確に区別するのは「言語」以外の何ものでもない。でもその「言語」ゆえ、人は意味のない戦争を起こしたり、富を蓄えようとしたり、起きてもいない事に不安を覚えたりする。でもその「言語」ゆえ人は、素晴らしい過去の感情を現在に再現することもできるし、新しい未来を夢見て創造していく事もできる。唯一人間のみに与えられたこんなに素晴らしい道具を使い、政治家や資本家、官僚などの今日の支配階級は「不安」や「嫌悪」「恐怖」といった人々の負の「感情」をもてあそび、自己の強欲な「感情」から生まれた動物には描くことのできない「知の妄想」を実現しようと躍起になっている。

















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by kimiyasu-k | 2017-05-27 12:47 | Comments(0)