コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2017 06 03 ねる
犬を飼い出して,もう5ヶ月近く経った。今では,家族そのもので、こいつの居ない生活は想像ができない。犬と呼ぶのももう憚れる気がして、名前でレオ、というのだけれども、そのレオを引き取った時に,元の飼い主にお金を払った。それが何とも嫌な感じがした。金銭と命を引き換えにするみたいな事に何となく後ろめたさを感じた。ましてや高いとか安いなどという話しは、不浄な事のような気がした。
最近は,動物の愛護,というか,動物の権利,がよく語られる。おそらくヨーロッパは世界の中でも一番動物の権利が認められているのだろう。先日ご招待で5☆Lのレストランに行った時も、レオを連れていったし、ボーイは親切に水の入った犬用の器をすぐ持ってきてくれた。
世界の中では子供たちが飢餓のために死んで行く中で、たかが動物、その権利がどうしたと騒ぐな,と思っているひとも沢山いるし自分もその一人だった。でも常に横に自分以外の生命があることで分かった事は、人間も含めた他の生命を尊重,リスペクトするという感覚そのもので、結局それは「人権」という概念と通奏低音の部分で共通した感覚だと思う。そういえばきっと「じゃあ牛を育てて屠殺するのはどうなんだ」「魚は生き物じゃあないのか」という反論がすぐに聞こえてきそうだ。
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かなり有名な知識人が、自分が運営するサイトで、どうせ動物,犬など役所によって殺処分にされるもので、生きる権利など有していないのだから、獣医などに資格制度など要らない,誰でもやりたければ獣医はすれば良いという。大学で6年間も税金を使って教育するのは馬鹿らしいと。もうこれは人身売買を平気でしていた数百年前のような議論を恥ずかしげも無く,どうどうと書いているようなもので読んで,あきれてしまった。(この記事の本意は、獣医学科許認可をめぐる首相に対する批判は馬鹿らしいからさっさと止めろという極めて政治的な意図のものであるのだろうけれど。)
科学や技術は,20世紀に入ってから驚くほどの「進歩」を遂げているから何となく人間というのは、他の分野や知識,感情でも、つまり全人格的に「進歩」しているみたいな幻想を抱いているけれども、それが幻想以外の何ものでもなく、人はある部分では確実に「退化」さえしているのかもしれない。こんな馬鹿な「知識人」の論説を読むと,つくづくITや遺伝子工学などの目覚ましい進歩は、人間としての進歩とは全く関係の無い事を,改めて思い知らされてしまう。先日の国連の人権理事会の特別報告者が日本政府に勧告をしたのもこんな日本の現実を察したものだろう。経済的な豊かさや科学技術の進歩が、必ずしも人としての豊かさとは対応しているわけではない。
















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by kimiyasu-k | 2017-06-04 05:32 | Comments(0)