コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

3月11日 日曜 晴れ
昼前、隣に週末住宅をもつ友人に会いに行く。ミラノに住み、土日は必ずこのネッソ村の家に来て、田舎暮らしを楽しんでいる。外で畑仕事をしていた友人が、今日は一人娘のマーラも来ているというので、家に会いに行く。自分とは親子ほども歳のはなれたマーラとの会話はこんな調子だ。
「久しぶりだけど元気だった、調子はどう」
「元気、元気、何か新しいことはあった」
「いや、これといって特別ないよ」
「仕事はどう、相変わらず遅くまで毎日働いているの」
「毎日9時過ぎまで。これは私の人生じゃない。仕事だけで、自分の時間が全くもてない。この間会社の人とパーティーがあったんだけど、みんなこんな遅くまで毎日仕事をしている人は、会話をする話題もない。自分のもっている自動車の話しぐらいで、全く話題がないの。そんな人たちをみてると、これはやっぱり自分の人生じゃないと思う。」
「そうか、でも長い目で見れば、若いときにはそういう時期があってもいいんじゃないのかな。」(ちなみにマーラは弁護士で、ヨーロッパでも有数の大きな法律事務所で、国際的なファイナンス会社を相手にした仕事をしている)
「この事務所で働きだして、まだ6ヶ月しか経っていないので後なんとか半年はやるつもり。でも、これはやっぱり自分じゃないから、一年経ったら行動を起こすつもり」
/////////////
「そう言えば、先日、新聞でインターネット関係の評論家が面白いことを書いていて随分なっとくしたんだよ。」「彼は、ブログなんかによって、マスコミ、権力側に握られていた情報が、全くの個人、権力の無い人間が発することができるようになった。そして、情報を受け取る側も、もう情報が絶対的に正しいものじゃなくて、自分で判断して受け取るようになっていく、そんなふうに情報が、個人のレベルにと本当の意味でおりてきたんだ、といっていた。」
「それは確かに。」

長々と書いてしまったけど、親子ほど歳の違った性別も異なった人が、こんな会話を自然にできるような空気があるのが好きだ。
d0104210_329198.jpg
mare dentro ★★★★☆
26年間、全身不随になってベットで生きてきた主人公が、自らの死を獲得するまでを描いた映画。その主題の重さにも関わらず、彼を巡って浮き出される人間の姿は感動的。つい1月ほど前に、イタリアでも死を望んだ寝たきりの身障者が、殺人罪に問われることを知っていながら医師によって呼吸器を止めてもらい、息を引き取った。映画が単なる娯楽でなく、こんなにも強烈に人々に問題を投げかけることに驚嘆した。
[PR]
by kimiyasu-k | 2007-03-13 03:34 | Comments(0)