コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2008年10月13日 月曜日 晴れ
土曜の夜、11時過ぎにテレビをつけると、「裁判」をやっていた。日本では法廷の映像が公の場に現れることは無いが、イタリアでは法廷にテレビカメラを持ち込み、その様子が報道される。
2005年に起きた、麻薬を巡る殺人事件の裁判を、約2時間にまとめて番組を組んでいる。法廷という密室で展開される判決までの経過は何回見ても衝撃的だ。
よく、新聞などで見る殺人犯人は如何にも極悪非道の顔をしている。それが、実際に法廷で見せる顔は、おそろしいほど、普通の人間だ。
被疑者、犠牲者の母、姉妹、友人、被疑者の親類、妻、などが法廷で極めて人間的に証言をする。あまりにも真実味をもって無実を訴え続ける被疑者、怒りと悲しみに充ちた被害者の母親、何とも複雑な表情で、証言を続ける被疑者の妻。
日本でも陪審員制度が、導入されると聞いている。法廷での生きた人間のやり取りを目の前にして、情に流されずに一体どこまで冷静な、合理的な判断ができるのか、考えさせられてしまう。それが、殺人、死刑という極限的な状況での裁判であったのなら、なおさらだ。失敗や間違いは許されない。
もうひとつ思うのは、日本での報道のあり方だろう。日本のマスコミは基本的に当たり障りの無いものしか「見せない」ことを前提にしている。これは法律によって「規制」がなされているためだ。もちろん、イタリアのテレビも何もかも見せているわけではない。一方で、人々の考え方をある方向にもっていってしまうという危険性を孕むものの、やはり「報道の自由」は最大限に守られなければならない。

ちなみにこの裁判がどのように終わったかというと、被疑者の泣くような声での「無実」の最終弁論にもかかわらず、イタリアでは極刑である無期懲役、自分には関係なかったという共犯者には25年の刑期が言い渡された。
判決のあと、鉄格子の向こう側に居る被疑者に、犠牲者の母親は大きな声で、「この糞たれめが、死ぬまで刑務所にいろ!」とどなり、それに「何を言っているんだ、ばかやろう」と言い返す被疑者、その間に入って静めようとする警察官。日本では、こんな場面は無いのだろう。もちろん、被疑者は、上告をした。
[PR]
by kimiyasu-k | 2008-10-13 16:47 | 生活・vita | Comments(0)