コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2007年9月27日 雨
ここ数日、急に寒くなった。今朝は8度とのこと。ストーブに薪を一本突っ込んだ。
昨日、9月からハンガリーに留学している甥っ子に電話をしてみた。大学のクラスは世界中から集まった学生で、その雰囲気がすっかり気に入ってやっているようだ。
「おじさん、日本って軍国主義みたいな国だね。」それが、感想だ。
昼休みを利用して、事務所の女の子に日本語を教えている。半分冗談ではじめたのだが、今ではかなり本腰を入れて勉強している。きょうはアンジェロアキの歌を訳したのだが、文章のおわ
りにつく「の」の説明がなかなか難しい。この「の」は女性が話すときにつける「の」なのだが、それが何となく「芸者」のイメージとつながっていってしまう。
言語としてはイタリア語は随分明確に表現することばだが、日本語はこの「の」をはじめ、様々な、微妙な表現があることに、改めて感心させられる。
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by kimiyasu-k | 2007-09-27 22:40 | Comments(0)
2007年9月24日 晴れ
立教大の宣教師住宅、解体へ 昭和初期の木造洋館
2007年09月24日13時20分

 立教大学(東京都豊島区)構内にある昭和初期の洋風木造建築「校宅11・12号館」が、9月中にも解体されることになった。1931年に宣教師の居宅として建てられ、近年は同大事務室として使われてきた。周辺の住民らからは保存を求める声が出ているが、同大は新しい教室棟を建設予定で、現在地では難しいとしている.
 この建物はコロニアルリバイバル様式と呼ばれる木造2階建て。左右対称の構造で、二つの住居に分かれている。聖路加国際病院(中央区)チャペルや旧病棟の設計に携わった米国人建築家J・V・Wバーガミニ氏の設計。キャンパスにはかつて約10棟の校宅があったが、二世帯住宅で残っているのはこの11・12号館だけだ。
 米国人宣教師ウィリアムズ主教によって1874年に創設された同大では、宣教師が学内で生活し、学生と交流することを重視していた。米国から派遣された宣教師とその家族が生活したのが、洋風の校宅だった。
 中に入ると、歴史を感じさせる造りが随所に残る。メーンの階段とは別に手すりがない階段が設けられ、台所とつながっている。かつて住み込んだメード用だという。窓は上に向いて開き、開閉に合わせておもりが上下する仕組みだ。
 館内にある立教学院史資料センター課長の山中一弘さん(52)は「冬は暖房が利いてくる昼ごろまでコートを脱げないが、建学の精神の象徴のような建物」と話す。
 同大は異文化コミュニケーション学部の08年度新設などに伴い、この場所に地上6階、地下1階の教室棟を建てる計画を進めている。校宅は解体の際に建て方や部材などを調査のうえ、復元方法などを検討したいとしているが、場所などは決まっていない。
 解体を惜しむ声は少なくない。日本建築学会関東支部は5月、この建物が「近代建築史上高く評価されるもの」として、保存を求める要望書を同大に提出。同学会名誉会員の山口広・日大名誉教授によると、この様式の木造二世帯住宅は「おそらく国内で現存するものは他にない」という。
 50年代、この校宅でバザーに出す菓子を焼いたことがあるという卒業生の女性(69)は、「映画を通してしか知らなかった外国の生活や文化を教えてくれる貴重な場所だった」と話す。
 近隣の住民も「立教学院校宅11号館・12号館(旧宣教師館)を愛する会」をつくり、73人分の署名を集めた。発起人の一人、竹内里美さんは「昔から学内を散歩しているが、校宅のあたたかみのある雰囲気が好き。なくなるのは寂しすぎる」と話している。
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イタリア語でストゥルメントstrumentoという言葉がある。日本語に訳すと「道具」という意味だ。もちろん普通の道具を示すためにストゥルメントは使われるが、そのほか、手段という意味でもしばしば使われる。歴史的建築物の保存はもう数十年以上、いろんなところで議論が行われるが、一部の建物を明治村に移転することに成功した程度で、なかなか実現しないのが現状だ。国そのものが歴史的建築物のようなイタリアでも、そしてその建物がどんなに美術的な価値があろうが、なんらストゥルメントがなければ、このような美しい街が保存されるわけではない。イタリアの街を保存するには「法律」というストゥルメントがある。単純に法律によって保存されている。ただでさえ、数の少なくなった日本の歴史的建築物を保存するためには、善意や良識、ノスタルジーといった情緒では、どうすることもできない。個人の私有財産であっても建築のもつ公共的な側面を認めて法的な整備をすすめてはどうだろうか。
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by kimiyasu-k | 2007-09-24 15:15 | Comments(0)
2007年9月17日 小雨
同校の教頭は「同級生とのやりとりはささいなことで、いじめという認識はない。理由はまったく不明だ」と話した。
朝日新聞の高校生自殺の記事に上のコメントが出ている。高校生いう一番不安定な精神状態を事もあろうに高校の教頭が全く理解していないとしか思えない。これでは、いじめも自殺もなくなることは無いだろう。ほんの少しの人間性がいったいどれだけ人を救うだろうか。
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by kimiyasu-k | 2007-09-17 15:34 | Comments(0)
2007年9月15日 晴れ
テレビでマイケルボブレという歌手を知った。50年代の音楽からはじめて今は若い人も聞くポップも歌っている。素直な声、が心地よい。朝日新聞でアンジェロアキという歌手がいることを知った。宇多田ヒカルという歌手が、日本では随分有名なこともどこからともなく聞いていた。年がいもなく、若い人たちの聞くポップミュージックを聴いてみる。白人、黒人、黄色人、という大きな分類で、声の質が違うことに気がつく。黒人の歌手はどこか濁ったような声だがとても存在感がある。白人の声は濁りもなく、存在感もそれなりにある。日本の音楽がなぜ西洋で理解されないのか。日本人の声が細いことに気がつく。おそらく、日本で聞いていればアンジェロアキと宇多田ヒカルは全く違った歌手なのだろうが、遠くから見ていると同じ部類に入ってしまう。体型が違うように人種によって声の質が違うというのは発見だ。それにしても、日本のポップミュージックの歌手がとてもいい歌を上手に歌っているのに、バックミュージック、後ろで演奏しているオーケストラのひどいことと言ったらない。特にバイオリンが旋律を奏でるバックは突然30年前に引き戻されたようだ。
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by kimiyasu-k | 2007-09-15 17:13 | Comments(0)
2007年9月12日晴れ
今住んでいる家はコモ湖畔にある。バルコニーから釣りができるほど、湖畔だ。14年前、コモの街中にすんでいた時、週末住宅として購入した。週末住宅と言うと何か随分豪華な感じがするが、イタリアでは普段生活をする街の家と週末を自然の中で過ごす週末住宅の二軒を持っているのがごく普通のことだ。
家といっても一戸建てではない。日本で言えば所謂マンション、アパート、共同住宅だ。とはいえ、築数百年で日本では少しイメージするのが難しいかもしれない。
このアパートは6家族ほどが住んでいる、というか所有しているわけだが、とても多様だ。我が家は3階の半分を占める。上にいるのは、ミラノの銀行に勤めているコンピューター関係のサラリーマン一人暮らしで56歳くらいだろうか。数年前に女房に逃げられて今は新しい女がリボルノというミラノから300KMほどのところに居る。土日はその新しい彼女のところに行く。趣味は模型の船を作ること。普段は随分おとなしいというか、静かな感じだけど、突然発作、ヒステリーを起こす。その隣は、オーストラリア人の45歳くらいだろうか。何をしているのかよくわからない。そういえば、彼も奥さんに逃げられた。数年まえ。奥さんは南アフリカ出身の画家で、似顔絵を描いていた。随分、腕もよく関心していた。数年まえ、彼女が曹洞宗の座禅をしていたという話を聞いて、ミラノにあるお寺、座禅道場に一緒に通っていた。数年前の夏休みに彼女はひとりでパルマの近くにある寺に一週間座禅会に行く。そこで運命の男と出会い、夫を捨ててどこかに行ってしまった。その夫が今は一人で住んでいる訳なのだが、新しい彼女がスコットランドに居るために、この家にはほとんど帰って来ない。スキー場で子供相手のスキーの先生をしたり、一体どうして生活しているのか分からない。もう5,6年はイタリアにいるのにイタリア語もあまり話さない。となりは、イタリアのテレビ局に勤めるサラリーマン。ほとんど来ることはない。数年前までは奥さんが時々ひとりできて滞在していた。と思ったら、今年は韓国人のあたらしい彼女をつれて、おまけに混血の子供も二人連れてやってきた。奥さんが知らないうちに韓国人の愛人を作り、こどもも二人作ったとのことだ。
下の家は、今は人に貸している。ドイツ人の若いカップルが時々やってくる。このカップルとはほとんど会話がなく、全くどんな人たちなのか分からない。ともかくドイツに住んでいて時々やってくるようだ。家の持ち主は、スチームアイロンの工場を経営する、所謂お金持ち。もちろんこの家はセカンドハウスとして購入したのだが、その直後に、3000坪の庭のある1900年代初めのアールヌーボー様式の豪邸を購入し、こんな小さなアパートにやってくることは無くなってしまった。その隣には、5,6年前にやってきた下着縫製工場を経営する夫婦がいる。もちろんセカンドハウスとして。この夫婦とはとても仲良しで、彼らがやってくる土曜の夜は必ず尋ねていき、雑談を夜中までしまくる。ミラノはファッションの中心地で、彼らの工場ではプラダやアルマーニなどのブランド品の下着、水着類を縫製している。
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by kimiyasu-k | 2007-09-13 01:31 | Comments(0)
2007年9月9日晴れ
友人の結婚式に出る。花婿56歳、花嫁40歳くらい、二人ともすでに10年以上一緒に暮らしている。式は、コモの市役所で行われた。花嫁が再婚ということで、教会で結婚することはできない。教会は離婚を認めていないから、教会で二度目の結婚式を挙げることはあり得ないわけだ。もっとも、離婚でなく教会が結婚を一回目の結婚を無効と認めた場合には、できるが。しかしそれには、教会に無効を認めてもらうための長い手続きが必要になる。というわけで、友人たちは市役所で行った。式を執り行うのは、「市長」だ。市役所での結婚式はサエナイということをよく言われるが、宗教色のまったくない結婚はそれはそれでなかなかスッキリしていて、爽やかで気持ちが良い。そのあと、披露宴はプシアーノ湖というコモから20kmほどはなれた小さな湖のほとりにあるレストランでやった。披露宴といっても、新郎新婦の紹介、上司、友人の祝辞といったものは全く無く、ただヒタスラ、料理を食べ続けて、雑談をして、踊ってというだけだ。これも、堅苦しくなくて随分気が楽だ。ただし参ってしまうのは、1時から始めて6時まで食べ続けることだ。今回は食欲に任せて、全て食べてしまった。
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by kimiyasu-k | 2007-09-11 01:16 | Comments(0)
2007年9月6日晴れ
8月の10日ごろ、友人が9歳の子供、女の子を連れて会いにやってきた。コモ湖畔の小さな村トルノのレストランに食事に行くことにする。ソフィアは表情がとても豊かで可愛い。2,3年前に離婚した彼は、時間があればソフィアの面倒を見ている。イタリアでは離婚すると子供は基本的には母親と一緒にいるが、毎週土曜か日曜は父親と一緒、というのが一般的だ。横で話していた親子の会話。
「お父さん、ファックってどういう意味?」
「う・・、夏休みが終わったら教えてあげる。」
「どうして?すぐに教えてくれないともうお父さんと遊んであげないから」
「、、、、under consensus of king」
一緒に食事をしながら、話すことが生活の基本にあるイタリア人の親子関係は、そして友人関係もとても微笑ましい。
夏休みには何回か友人を呼んで、庭で食事をした。湖の見える、というか湖際の庭でするプンティーニは最高だ。プンティーニというのは早い話が豚の骨付きアバラ肉で、これを時間をかけて炭火で焼く。まず肉は市場で塊で買ってくる。一人頭、1kg弱というのが目安だ。その辺にある木を燃やして炭火にする。そこにアバラ骨に沿って切り込みを入れた肉の塊を置く。肉から溶け出した脂肪がポタポタと落ちる。その油に火が付く。何とか肉が焦げないように、水を掛けたりして炎を消す。自分の油で肉の表面が揚げたように焼けてくる。下からの煙に肉が燻される。40,50分もかけてこうして肉を焼くと、それにしても美味しいプンティーニができあがる。あとは、おしゃべり。それにしてもイタリア人は喋るのが好きだ。
日本では無口だった自分も、何故かイタリア語になると饒舌になる。
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by kimiyasu-k | 2007-09-07 01:52 | Comments(0)