コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2008年10月27日 くもり 雨
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二週間ほど前に知り合ったバイオリン製作者の日本人、Kさんの工房を訪れた。工房はストラディバリで有名な、バイオリンの聖地ともいえるクレモナにある。Kさんは1990年、大会社のサラリーマンをやめ、クレモナにある国立バイオリン製作学校に入学し、そのまま現在までクレモナに工房を開いてイタリアでバイオリンを作っている。「工房」は魅力に満ち溢れている。使い方のわからない、見たことも無いような道具や、作りかけの楽器、不思議な塗料の臭い、材料になる様々な木、型、そこで仕事をするもの以外にとってはあまりに無造作に整頓された工房。お願いして引いてもらったバッハのバイオリンソナタの断片は、奥行きの深い、存在感にあふれ、それでいながらどこか遠慮勝ちな、Kさんの"人"のような音がした。
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by kimiyasu-k | 2008-10-27 22:09 | Comments(0)
2008
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考えてみるとクレモナを訪れるのは15年ぶりだ。20年前、イタリアに来たばかりのころ事務所の同僚の実家に招待されて、ポルチーニきのこのリゾットを食べたのが一回目、二回目は彼女の弟が白血病で急死しそのお葬式に、そして三回目15年前に彼女の結婚式で。思いもかけずクレモナの街は美しかった。行けども行けども何もないロンバルディア平原の中に突然111mの塔が聳え立つレンガの美しい街がクレモナだ。この広場に面したレストランで、思わずクレモナ料理を食べてしまった。プリモ(一皿目)はカボチャのラビオリに、クレモナ特産のマスタルダという芥子漬けの洋ナシを合わせて食べて、セコンド(二皿目)は、これも豚が有名なこの地方の名産、コテキーノと呼ばれる豚肉料理。そして、ティラミス(これは別にクレモナとは関係ないが)のデザート。昼からプリモ、セコンド、デザートを平らげたのは久しぶりだ。
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by kimiyasu-k | 2008-10-27 17:22 | Comments(0)
2008年10月23日
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余り知られていないが、これもテラーニの設計による集合住宅.ペドゥラーリオの家と呼ばれていて、コモの城壁のすぐ外、メンターナ通りにある。残念ながら一階の緑色の大理石による外装は後の改修によるもので、建設当時の写真では、白い柱に大きな開口部がある。それでもバルコニのプロポーションと構造、ガラスブロックはテラーニの建築言語をよく表現している。
Casa Pedraglio
via mentana como
1935/37
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by kimiyasu-k | 2008-10-24 19:36 | Comments(0)
2008年10月23日木曜日 はれ
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1935年、テラーニとリンジェリによって計画されたミラノ、センピオーネ通りの集合住宅。casa ed appartamenti rusticiと呼ばれている。
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by kimiyasu-k | 2008-10-24 16:26 | 建築・architettura | Comments(0)
2008年10月22日 水曜 くもりのち晴れ
今、イタリアでは「人種差別」が問題になっている。これは近年、アフリカ、東ヨーロッパからの移民の数が、人口の5%以上を占めるようになってきたためだ。先日、衆議院で小学校でイタリア語を話せない子供を別クラスでイタリア語の特別教育をするという法案が通過した。この法案を巡って、与党(右)と野党(左)が大きく割れた。先の選挙でイタリアはベルルスコーニの率いる右派の政権に移ったが、その中でも最も右よりとされる北部同盟党が提出した法律だった。イタリア語を話せない子供にイタリア語教育をする、という一見「善意」に充ちた法律も、イタリアでは一般の人々も加わり徹底的に議論される。昨夜は、La7という左側の放送局で、その法案の発案者である北部同盟の議員を呼んで討論がなされた。そこには、現実に小学校でイタリア語を喋れない子供たちを教える先生も参加していた。この法律だけでなく、北部同盟は移民に対しては、厳しい立場をとり様々な提案を繰り返し、また一部の議員の外国人(もちろん西ヨーロッパ人を除く)に対する言動は顰蹙を買い、国際的な問題にもなっている。そのような背景からこの法案は、イタリアが「人種差別」国家への道を歩んでいる証の何ものでもないという主張が左からは成されているわけだ。アウシュビッツの歴史を体験したヨーロッパでは、「人種差別」は容認の余地が全く無い。今現場にいる小学校の先生たちは、隔離したクラスに入れるのではなく、今のようにイタリア人の子供たちの中で時間をすごさせることによって、何よりも早く、効果的に子供たちはイタリア語を学んでいく、そしてそれがとりもなおさず、イタリア人の子供にとっても、社会でくらすことを、新しい人間関係の価値感を学ばせることにほかならない、という。
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by kimiyasu-k | 2008-10-22 16:52 | Comments(0)
2008年10月20日 月 くもり
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コモ湖は1000mから3000mにまで至る急峻な山で囲まれているが、標高1000mあたりは、かつて牧畜が盛んに行われていた。今ではその数も少なくなってしまったが、当時使われていたマルガ MARGA と呼ばれる、牧畜小屋が至るところに残っている。小屋といっても、石造りのとても美しい建築だ。セメントを使わずにただ石を積み上げただけの壁、ベオラと呼ばれる石板で葺いた屋根。小さな開口部。中にはセカンドハウスとしてきれいに改修して使われているマルガもあるが、この宝石箱のような建築はほとんど見捨てられて、屋根が落ち、壁が壊れていく。トルノ村から山道を辿っていくと、このマルガが建っていた。近くからは「牛の音」が聞こえる。ジープに乗った若いカップルがやってきて牛の牧草をやると帰って行った。
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by kimiyasu-k | 2008-10-20 21:55 | 建築・architettura | Comments(0)
2008年10月20日 くもり
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コモにはテラーニのカサデルファッショ以外にも、いくつかのイタリア合理主義建築の文化財がある。これはLINGERIの設計したアパートで、街の城壁のすぐ外にある。薄いスラブのバルコニーが水平にのび、細い鉄パイプの柱が支える。水平性を強調する手すりはフラットバーを使っていて、今日の鉄の手すりの原型とも言える。建物は10年ほどまえに、ファサード全体に手が入れられ、修復された。足場が外れたとき、そのピンク色に驚いた。
1936
Casa Cattaneo e Alchieri
via Mentana 25, 22100 COMO
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by kimiyasu-k | 2008-10-20 20:00 | 建築・architettura | Comments(0)
2008年10月18日 土曜日 くもり
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カサ・デル・ファッショ 1936年、ジュゼッペテラーニが設計をしたイタリア合理主義建築の傑作。世界中から多くの建築家たちが訪れる。現在は、財務警察署として使われているが、土曜の午後には内部を見学することもできる。
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by kimiyasu-k | 2008-10-18 20:41 | Comments(0)
2008年10月16日 木曜日 曇り
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朝、車から黄色いガムテープが見えた。気が付くと町中に黄色いガムテープが貼られている。例によって悪戯かと思うとどうも様子が違う。イタリアの様々な街で開催されているComONというカルチャーイベントだった。http://www.comon-co.it/
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by kimiyasu-k | 2008-10-17 00:23 | 生活・vita | Comments(0)
2008年10月13日 月曜日 晴れ
土曜の夜、11時過ぎにテレビをつけると、「裁判」をやっていた。日本では法廷の映像が公の場に現れることは無いが、イタリアでは法廷にテレビカメラを持ち込み、その様子が報道される。
2005年に起きた、麻薬を巡る殺人事件の裁判を、約2時間にまとめて番組を組んでいる。法廷という密室で展開される判決までの経過は何回見ても衝撃的だ。
よく、新聞などで見る殺人犯人は如何にも極悪非道の顔をしている。それが、実際に法廷で見せる顔は、おそろしいほど、普通の人間だ。
被疑者、犠牲者の母、姉妹、友人、被疑者の親類、妻、などが法廷で極めて人間的に証言をする。あまりにも真実味をもって無実を訴え続ける被疑者、怒りと悲しみに充ちた被害者の母親、何とも複雑な表情で、証言を続ける被疑者の妻。
日本でも陪審員制度が、導入されると聞いている。法廷での生きた人間のやり取りを目の前にして、情に流されずに一体どこまで冷静な、合理的な判断ができるのか、考えさせられてしまう。それが、殺人、死刑という極限的な状況での裁判であったのなら、なおさらだ。失敗や間違いは許されない。
もうひとつ思うのは、日本での報道のあり方だろう。日本のマスコミは基本的に当たり障りの無いものしか「見せない」ことを前提にしている。これは法律によって「規制」がなされているためだ。もちろん、イタリアのテレビも何もかも見せているわけではない。一方で、人々の考え方をある方向にもっていってしまうという危険性を孕むものの、やはり「報道の自由」は最大限に守られなければならない。

ちなみにこの裁判がどのように終わったかというと、被疑者の泣くような声での「無実」の最終弁論にもかかわらず、イタリアでは極刑である無期懲役、自分には関係なかったという共犯者には25年の刑期が言い渡された。
判決のあと、鉄格子の向こう側に居る被疑者に、犠牲者の母親は大きな声で、「この糞たれめが、死ぬまで刑務所にいろ!」とどなり、それに「何を言っているんだ、ばかやろう」と言い返す被疑者、その間に入って静めようとする警察官。日本では、こんな場面は無いのだろう。もちろん、被疑者は、上告をした。
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by kimiyasu-k | 2008-10-13 16:47 | 生活・vita | Comments(0)