コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2010 06 26
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ちょっと前までは、机の引き出しの奥から、失くしてしまったと思っていた懐かしいものがある日何かのきっかけで見つかったりした。今は、ハードディスクのどこかにまぎれていた懐かしいファイルが見つかったりする。3年ほど前に計画したある古いビルのエントランス改修工事の模型写真が、使っていなかったコンピューターのディスクD、ドキュメント、イメージのフォルダーから出てきた。一緒に、フランスに行ったときに撮った写真もあった。イタリア語でチェルビーノ、マッターホーンに行った時の写真もある。標高3000mの山小屋で、美味しい野菜スープを食べようと乗ったロープウェイで、ガックという大揺れが2度して、ロープが外れ、標高2200m、地面から50mで4時間ほど宙吊りになり、救難用キャビンで救われたときの写真も。同行者がおしっこが我慢できなくて、地上50mのロープウェイのキャビンの扉を10cmほど開けてそこからオシッコをした、それを後ろからこっそり撮った写真も出てきた。いったい世界中の忘れ去られてしまったコンピューターのディスクの中には、どれほどの思い出が詰まっているのだろう。
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by kimiyasu-k | 2010-06-27 19:55 | 建築・architettura | Comments(0)
2010 06 26
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たまには本職の建築のスケッチ。紙と鉛筆を手にしたときは、イメージなんて全くない。建物のボリュームを書いて、手をひたすら動かし続けると、その内、線が見つかるのでなくアイデアが思いつく。この計画は、北側斜線によって切られてしまう、どうしようも無く醜いボリュームの建物。線を引けども引けども納得いくファサードは見つからない。家の前の広場舗装計画は良かったのに。ふと、建物を計画するのでなく、広場の背景として、建物を考えればいいじゃないか、という考えが浮かぶ。広場からみれば、建物は書割にしかすぎない。それじゃあ、書割に徹して建物の形なんて無視して、きれいなプロポーションの書割を作ればよいと。
それにしても建物のデザイン媒体は、紙、鉛筆、手、頭、イメージ。紙と鉛筆に全く触らない今の若い人たちは、どうやってアイデアを形にしていくのだろう。
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by kimiyasu-k | 2010-06-26 19:22 | Comments(0)
2010 06 25
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朝、事務所に行く車が、渋滞で止まる。横を見ると石積みの工事をしている。面白いので見ていたいと思うが、車が動き出した。一体何を作っているのか知らないが、コンクリートの壁に積み張りをしているところを見ると、これは単に単にコモ湖の景観保全のための工事だ。コンクリートの打ち放しはカッコよくても美しくない。こんなことに公共事業費を使う、イタリアは豊かな国なのか貧しい国なのか。
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by kimiyasu-k | 2010-06-26 02:54 | Comments(0)
2010 06 15
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シチリアにソファーの写真を撮りに行く。撮影のロケーションは、パレルモ郊外、耕作地の中にある昔の庄屋。同行したイタリア人の友人の建物だという。今となっては、ここに地主と小作人が寝起きをともにするようなこともなく、先祖から相続したこの屋敷を、パーティー会場として貸すための修復工事中だった。
家畜を飼い、農作業、作物の倉庫であったこの建物は、ガランとした広く薄暗い空間に、高い小さな窓から、シチリアの午後の強い日が差し込み、撮影には最適のロケーションだった。
同行したイタリア人に、「お前もこんな家を相続していたらよかったのに」と言うと、「本当にこんなものを相続しなくてよかった。友達が一体どれほど維持するために苦労しているか。」確かにイタリアには無数の日本なら文化財指定がされるような建物が残っていて、それは所有者によって維持管理されている。壁は石造とはいえ、屋根は50年もすれば架け替えなければ雨水により壁も壊れ建物は朽ち果てていく。イタリアを旅行すれば至る所にそんな見捨てられた建物が散在している。
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by kimiyasu-k | 2010-06-20 17:24 | Comments(0)
2010 06 06
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Mezzogiorno sulle alpi, 1891 高原の正午 Segantini
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by kimiyasu-k | 2010-06-07 07:18 | Comments(0)
2010 0606
 塔に住みたいと思ったことがあった。それは、塔にすんでいる夢を見てからのことだった。
 夢に見た塔は、何階などと階数を数えられないような高い塔で、窓の前を時々くもが通って行った。あまり高いので、鳥などはそこまでは飛んでこられなかった。そんなところまで、どうして登ってきたのか、それは夢の中では経験しないことだった。
 私が住みたいと思った塔は、そんなに高くては困るので、せいぜい三、四階。そして石の螺旋階段を、こつんこつんと音を響かせて登っていく。それが嬉しい。
 夢から思いついたそんな贅沢な望みがかなえられるわけが無いので、塔の中の構造やそこでの生活の仕方を、本気になっては考えなかったが、丘の上とか、海辺の断崖の上などにその塔があるといいと思った。
 塔に住みたいと言う願いには、様々な欲求がからんでいたと思う。隠れようとする気持ちと、人目を牽くようなことをしてみたいと言う逆の気持ちが一緒になっていた。そしてなんとなくその矛盾を、童話風の雰囲気で包んで置けたら、さぞかしいいだろうと思った。
 だが塔は、そこに住むところではない。天に向かって、ひとつの願いを高くかかげ、それを崩さないように、頑丈に築く。そして塔は、そこに登って、地上の全てを小さく見下ろす時よりも、ある距離に立って見上げるときに、その美しさで心を揺り動かす。
 幻の塔には人は住めない。住んではならない。それを穏やかな夕映えの中で眺めていると、おそらく天上のものである鐘の音や、素朴で力のこもった音楽が聞こえてくる。
 それから静かに憧れが蘇る。
(季節の谷間に拾い集めた74の断章  串田孫一 じゃこめてい出版 1976年)


外国に暮らしていると、暮らそうとすると、どうしても手元に置いておきたい本がある。自分にとっては、串田孫一の本だった。昔読み漁った串田孫一の数多くの山の本、随筆、エッセイが今手元に10冊ほどはあるだろうか。時々持ち歩き、列車を待つ時間寝入る前に、ほんの僅かの時間の隙間に読む。何度読んでも、飽きることのない、これほど味のある日本語を書ける人は他にいない。丹精に選ばれた言葉と、文章の持つリズム、思いがけない形容句のあとに現れる主語。そして、日常の中で、ともすれば見逃してしまう心の揺らぎの的確な表現。ほとんどの本を対角線に読む自分が、丹念に一字づつ追って、時には前にもどり、繰り返し読みたくなる、そんな作家が串田孫一だ。なぜ、ここで串田孫一かといえば、昔どこかで、おそらくアルプという文芸雑誌に彼がセガンティーニという当時全く名前の聞いた事のないアルプスの画家について書いていたからだ。
インターネットも無い時代、彼の書くセガンティーニという画家の絵を見ることはできなかった。何故か、明るいアルプスの谷間のイメージがセガンティーニという音と伴に沸いてくる。
そのセガンティーニが今住んでいる家のすぐ裏の村に滞在していたというのは、単なる奇遇ではありえない。
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by kimiyasu-k | 2010-06-07 06:19 | Comments(4)
2010 06 06
カーリオ村をぶらついていると、vendità di frutta e verduta 「 果物と野菜売り」と書いてある。きっともう百年以上たった看板だ。セガンティーニもここに果物と野菜を買いにきたのだろうか。「今日は結構仕事が進んだ。この色がなかなか見付からなかったんだ。これで今週中には何とかこの絵も仕上がるかもしれない。この絵ならあのリカルドの絵にも勝てるだろう。ああ、そろそろ苺の季節だ。野菜屋のフランチェスカ、まだ店しめてないかな。急いで苺を買いに行こう。それにしても、フランチャスカは綺麗だよな。どうしてあんな綺麗なフランチャスカが、あんなぶ男のマルコのところに嫁に来たんだろう。今日はひとつからかってやろう。」などと考えながら、セガンティーニは石畳の道を小走りに、この野菜屋さんに、苺を買いに行ったのかも知れない。
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by kimiyasu-k | 2010-06-06 23:59 | Comments(0)
2010 06 02
今日は、イタリアの建国記念日。朝からテレビで軍隊のパレードをしている。
風が強い。湖は白波が立っている。一日中家でごろごろもと、午後山の上まで出かける。ソルマーノ峠を越えてロンバルディァ平原へ下り出すと、カーリオという村がある。アルプスの画家、セガンティーニの滞在した村だ。セガンティーニの名前は日本では余り知られていないが印象派の時代、スイスのサンモリッツで数多くの作品を描いた。現在、サンモリッツには美術館がある。その美しさは圧倒的だ。そんなセガンティーニゆかりの村とは知らなかったカーリオを超え、すぐ下の村、レッツァーゴにはお気に入りのロマネスク教会がある。1200年代だろう。小さなアーチの連続する典型的なロンバルディア帯を頂部にあしらった塔はビフォラの四層アーチ窓が美しい。天気が下りだして、空が雲に覆われ、絶好の背景になる。底抜けのイタリアの青空は綺麗だが、どうも石造りのロマネスク建築の背景には合わない。
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Rezzago - S. S. Cosma e Damiano
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夕方家に戻ると風は大分おさまって夕飯と伴に日が暮れていく。食事をしていると外がオレンジ色であることに気づきカメラを構える。
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by kimiyasu-k | 2010-06-03 05:00 | Comments(0)