コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2010 10 24
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秋の短いヨーロッパは夏が終わるとすぐ暗い、寒い、しっとりと雫のまとわりつくような冬がやってくる。地中海に面した南イタリアは一年中太陽の光を浴びることができるが、ここコモはスイスの国境までわずか数キロしかなく、北ヨーロッパほどではないが、暗い長い冬がやってくる。今日は、そんな北イタリアの冬の初日だった。天気予報は一日小雨というものの、バルコニーのテラコッタはいつまでも乾いたままだ。一日家に閉じこもっているのも陰気だと、裏山のゼルビオ村に今年二回目の栗拾いに行った。湖畔から見ると雲の中にあったゼルビオ村は霧の中にしっとりと沈んでいる。村はずれの山道は、栗の落ち葉が敷き詰められ2,30メートル先は霧の中に吸い込まれていく。
日本ほど綺麗な紅葉はイタリアで見ることはできない。僅かに庭に植えられたナナカマドや蔦のヘデラが真っ赤な色を見せるだけだ。
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by kimiyasu-k | 2010-10-26 03:16 | Comments(0)
2010 10 21
買い物をするのが大嫌いだ。面倒で仕方が無い。食材はスーパーと街の市場でまとめ買いするけど、服と靴、とかばんだけは、店を回らないと気に入ったものが見つからない。それにしても靴、かばんというのは難しい。三次元的にできていて、車と一緒でどこから見ても、カッコ良いという靴にはまずお目にかかれない。形と用途と値段と、すべての条件を満足するものなんてこの世には存在しない。どうして靴の本場、イタリアに居て、アメリカブランドの靴を買わないといけないか分からないが、横から見たときの、真っ直ぐの線が気に入って買った。ところが履いてみると、上からしか見えないから、結局なんてことはない普通の靴に過ぎない。
そしてこの横に付いてるマークがどうも気に入らない。US POLO ASSN.というなんと1890年からの由緒正しい団体の製品だということだ。別にそんなマークが気に入ったから買ったんじゃなくて、靴紐のところの直線が気に入っただけなのに、こうもドカンと御座いと刺繍されているのはイカン。一流ブランドの、アルマーニだのプラダだの、これぞイタリアファッションというブランドの水着と下着の縫製工場をしている友人がいるが、彼の請け負う金額と店頭で並べられる商品の価格の差に、愕然とする。こんなブランドが付いているだけで、生産コストの10倍以上で売られているのかと思うと、腹が立って仕方が無い。とはいえ、やっぱりこういう一流ブランドはデザイン、質の点で、最高のものを作っているから仕方がない。
で、イタリア人は全くほっといてくれと言いたくなるほど、他の人が何を身に着けているかということを観察している。本当に気をつけていないと、一体影でなんて言われているかわかったもんじゃない。だから、自分が何でもいいやと思っていても、回りが許さない。齢と格好、社会的な地位、やっている職業に、きちんと相応しい格好をしていないと、文化的に程度の低いやつだとみなされるし、実際それがイタリアの文化なんだろう。若いころは、回りがどう見ようが良かったが、この齢になってくると、どうしてもそれなりに気をつけないといけない。
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by kimiyasu-k | 2010-10-24 00:07 | Comments(0)
2010 10 20
とてもブロンズ、金属とは思えない。まるで血の通った人間が、心に何かを抱えた人間が、柔らかな革のクッションの上に座っているようだ。
初めてベルゴミの彫刻を見たときに、それは雑誌の写真を通してだけれども、他の彫刻とは一線を画した「何か」を持っていてるのを感じた。もう10年以上経ってしまったが、当時絵や彫刻などの「芸術」にはほとんど興味が無かった。もともと、絵は好きだったけれども、何かそれが余りに自分の現実、日常の生活からはかけ離れたもので、所詮、美術館でお目にかかる高尚なもの、いってみれば自分の生きる現実とは違った世界のものだという、ある種の空しさみたいなものを感じていたからだ。それが、ある日、日本の公共施設に彫刻を設置したいという相談を受けて、知人の画家に相談したところ、書棚から引っ張りだしてきた美術雑誌でみたのがベルゴミの彫刻だった。その時の衝撃は今でもはっきり覚えている。
よくなんの躊躇いもなく、ベルゴミに電話をして会いにいったものだと、今になってみればあきれてしまう。その後、紆余曲折はあったものの無事、彼の作品を日本に実現することができた。
作品ができる間にしばしば会いに行って彼とよく話したのは、彫刻、だけでなく現代の芸術がほとんど、コミュニケーション不能であること、芸術がベースにもつべき天才的な「飛びぬけた技術」をどこかに忘れてきてしまったということだ。
写真を見ていて出てきたこの彫刻は、昨年の彼の作品のひとつだが、こうして改めて見直してみると、まさに天才の技術に裏打ちされた、心の奥深くにコミュニケートしてくる、現代のアルカイックな作品であることを思い知らされる。
一緒に、雑談しながら食事をしている時は、別に普通のお喋り好きのイタリア人だけど、作品を前にすると、「お前、彫刻つくるの上手すぎ。」という他ない。天才を前に、上手いというのも冴えない話だけど他に言葉は見当たらない。
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by kimiyasu-k | 2010-10-23 02:16 | Comments(2)
2010 10 19
平たく言ってしまえば、近代建築がつまらないコンクリートでできた単なる箱になってしまい、昔の建築に比べてどうも美しいという感じではない。建築の本質というか、魅力はもっと違ったところにあるんじゃないか。建築というのは、長い時間の中で文化の中で人々の間に共有されてきた「形」以外の何物でもない。と1970年台に建築界に穴をあけたアルドロッシというミラノの建築家の版画を、先に竣工したビルのお施主様、Iさんから頂いた。感謝感激。日本に居たロッシの版画が、イタリアに里帰りし、ここコモの事務所の入り口に掛かっている。
とはいえ、Iさんのビルは、そのロッシが否定した箱の近代建築の言葉を使ったデザインで、当時から40年以上過ぎ、すでに近代建築も歴史的で文化的な「形」としてコレクティブな建築的な意味をもっている、という認識からあえて使ったものだ、と言い訳するしかない。
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by kimiyasu-k | 2010-10-20 00:54 | Comments(0)
2010 10 17
ここは、チンクエテッレのヴェルナッツァの海辺。アメリカ人かフランス人か、二人連れの外国からの観光客、右の人は小さなスケッチブックに鉛筆で岸壁の上に見える石積みの丸い塔のスケッチをしている。左の女性は、ガイドブックか何か本を一心に読んでいる。その左にいる男性は、イタリア人の家族連れ、奥さんと3歳くらいの女の子のお父さんで、水際で母親と遊ぶ子供を眺めている。夏は過ぎたものの、まだまだ日の暖かい、時には暑いくらいの午後の海辺の風景だ。
ところが、そんな海辺の人々を写真に収めようとしたわけではない.
「宇宙船から地球を見ているよう」とアップロードしたFLICKERにコメントを書いてくれたアメリカ人がいた。確かにガガーリンが見た地球の色のような透明な水の中から大陸のような岩が顔を覗かせ、まぶしく太陽の光が反射している。
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by kimiyasu-k | 2010-10-18 04:20 | Comments(0)
2010 10 02
世界遺産、世界遺産、ここはチンクエテッレ。地中海に面した断崖絶壁に5つの漁村が張り付いている。
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モンテロッサから船でヴェルナッツァとリオマジョーレを訪れる。一番人気のヴェルナッツァは、アメリカ人やフランス人で一杯だが、リオマジョーレは観光客も少ない。崖の割れ目に張り付いたように立ち並ぶカラフルな背高建築が印象的だ。
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残念ながら天気はいまひとつ、地中海の真っ青な海と空にはお目にかかれなかったが、こうして海に向かうと「海は広いな大きいな」。波がいつも打ち寄せる太平洋とは一味違った穏やかな地中海の海の表情に開放感を感じる。
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by kimiyasu-k | 2010-10-11 02:05 | Comments(0)
2010 10 10
今年もお馴染みの栗拾いの季節だ。裏山のベレーゾという村から山道を5分辿ると樹齢数百年はありそうな栗林にたどり着く。「大きな栗の木の下」は栗だらけで、30分も拾うと袋は一杯になってしまう。ずっしり重いリュックを背負って家に帰り計ってみると8.7kg。今日から毎晩食後は焼き栗が続く。
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by kimiyasu-k | 2010-10-11 01:42 | Comments(0)