コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2011 02 23 COMO
右に行くと隣は、歴史的な建築家ジュゼッペテラーニ財団がある。もともと彼のスタジオだったものが今ではテラーニに関する資料などを管理している。左に行くとアダムデルペーロの屋敷、中世コモの街の有力貴族の家系で白とグレーの石が横縞模様に貼られていて綺麗だ。入り口の6っ個の洋ナシ(ペーロ)をモチーフにした紋章が印象的だ。左の建物の一階には、靴の修理屋さんが入っている。修理するほどの良い靴を持ち合わせていないので入ったことも無いが。後ろには、コモで一番コーヒーの美味しいマヤカフェがある。ここにはいつもコーヒーを買いに行く。街中の路の交差する建物、その丸くなった建物の角の上の階に住んで右から来る人と左のから来る人が行きかう姿を上から眺めてみたい。
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by kimiyasu-k | 2011-02-24 05:06 | Comments(0)
2011 02 23 COMO
ようやく、どこまでも突き抜けていく真っ青なイタリアの青空が広がった。
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by kimiyasu-k | 2011-02-24 00:11 | Comments(0)
2011 02 21 COMO..........Dover
今日は、事務所に変わった客がやってきた。友人がまだ8ヶ月のドーバーを連れてきたのだ。お前、醜い顔だなあ、こっちに来い、といっても尻尾はお尻にピタリとくっ付いたままで緊張しきっている。そんな顔して明るいイタリア人、というかイタリア犬なのに、なんて内気な奴なんだ。写真撮るから、こっちを向いてと言っても、恥ずかしがって目も合わせようともしない。家でははしゃぎ回っているという、本当に内弁慶だ。それにしても、犬というのはこんなにも人格、というか犬格があるものなのか、びっくりしてしまう。
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by kimiyasu-k | 2011-02-23 11:28 | Comments(0)
2011 02 21 NESSO
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ビー、郵便やさんだ。ビ・ビー、これはベネデッタ。ビーーーーーー、しつこい奴だ、誰だろう。ビービー、キアラ鍵を忘れたのか。といった具合に、調子の悪い事務所のインターホンのブザーが鳴ると大体、誰が来たのか想像ができる。よくしたもので、たったボタンを押すという行為の中にもその人の性格や、用件、言ってみれば心の内が表現されてしまうものだ。
すでに蔦が絡みだしてしまうほど、使われることの無いこのドアノッカーを叩いた人はどんな心を持ってこの厳しい人の顔を見たのだろう。
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by kimiyasu-k | 2011-02-23 06:13 | Comments(0)
2011 02 20
また雨の日曜日。傘をさして家の周りを散歩すると、立ち枯れのアジサイ、にわとこは鮮やかな緑色の新芽がふき、雫の下には、黄色い小さな蠟梅の花が咲こうとしている。
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by kimiyasu-k | 2011-02-21 01:36 | Comments(0)
2011 02 19
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1960年、チェット・ベーカーはイタリア、トスカナ地方ルッカに滞在していた。かなりの量の麻薬を所持していたところを警察に捕まり裁判にかけられる。そしてイタリアで一年間の刑務所生活を送ることになる。刑務所の中で暇を持て余した彼は10の曲を走り書きし、それを刑務所を出るときに同じ房のイタリア人の囚人に渡す。音楽に興味もない彼はそのチェットベーカーの自筆の楽譜を引き出しにしまったまま45年の歳月が経った。
ルッカのジャズピアニスト、マウロは数年前に知人に見せられたこの楽譜を見て驚いた。どこにもレコーディングされていない、聞いたこともないチェットベーカーのオリジナルが10曲みつかったのだ。
というわけで、4tuneマウロがピアノをひく、イタリアのジャズクワルテットのコンサートに行くと、このチェットベーカーの未掘の三曲を聴くことができた。それにしても、ジャズはこんな伝統的イタリア劇場の広間で聞く音楽じゃない。穴倉のようなバーで聞くのが似合っている。
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by kimiyasu-k | 2011-02-20 07:34 | Comments(1)
2011 02 19 CANTU'
コモ湖の周辺には宝箱のような小さなロマネスク建築が散在している。中世にはマエストロコマチーニと呼ばれるこの地域の石工たちがヨーロッパ中に赴き、ロマネスクの教会堂を建てた。その後イールドフランスに生まれたゴシック建築が石の物質性に打ち勝ち、人間を超えた天に伸びる垂直性へと昇華した「神の家」であったのに比べ、ロマネスク建築は、まだ手垢の付いた石をひとつづつ積み上げた、どこかたまらなく人間臭い建築たちだ。コモから東に10キロほどの家具の生産で有名なCANTU'の街にはそのロマネスク建築の中でも重要な教会、サンビンチェンツのバジリカとサンジョバンニの洗礼堂からなる、ガッリアーノのモニュメントがある。
作られた時代は不詳だが1000年ごろと推測されている。建築設計をするものに取り分け興味深いのは、集中式プランの洗礼堂、サンジョバンニだ。建物を見る前に美しい集中式平面図と、不思議な三層の断面図をみても現実に出現する空間がどんなものか想像することはほとんどできない。本物の洗礼堂は、その期待を裏切らない、魅力に溢れた空間だ。一体、この洗礼堂を考え出した1000年前の石工は、何を思ってこんな形を作り出したのだろう。
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サンビンチェンツォ内陣・外観
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サンジョバンニクーポラ・内観
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サンジョバンニ洗礼堂・正面
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サンジョバンニ洗礼堂トリビューンフレスコ画
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by kimiyasu-k | 2011-02-19 21:29 | Comments(0)
20110218
雨が上がりようやく今日は青空が顔を出した。夜、家への階段を下りていくと湖に灯りが綺麗に映っている。昨日までの雨は、対岸のピグラ村の山では雪だったのか、月明かりで白く輝いている。
正面に見える鉄の門扉の上の御影石のマグサにはFILANDA・紡績所と掘り込まれている。急峻な山で囲まれたコモ湖、ネッソ村にはサンプリモ山から水の豊かな渓流が流れ落ちる。この水力を利用した紡績工場が村には2つあった。小さな家の集まる村の中に、規則正しく沢山の窓が並ぶ大きな建物が一際目だっている。いつか友人の家で紡績所に働く綺麗に着飾った女の子たちの昔の白黒写真を目にした。女工哀史のイメージからは程遠く、村に住む豊かな子女の記念写真といった感じだった。100年前、この路をはしゃぎながら女の子達が駆け上っていったのだろう。電気の通じた今では、もちろんこんな不便なところは工場としては使われていない。庭にプールのある別荘用のコンドミニアムに変身している。
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by kimiyasu-k | 2011-02-19 06:16 | Comments(0)
2011 02 17 COMO
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遅ればせながら、我がピノッキオも中近東の民主化に立ち上がった。リビア、イエメン、イラン、イラクとまだまだ沢山の国で民主化の波が広がっていく。地中海に面したイタリアにいればイスラム圏の出来事とはいえ、対岸で起きてる歴史の変わり目だ。
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by kimiyasu-k | 2011-02-18 01:20 | Comments(0)
2011 02 16 NESSO
寒さは緩んだものの、ここ数日、雨が続いている。湖畔の家から364段の階段を登り、国道にでた真正面にこの古ぼけ消えかけた「ALBERGO-RISTORANTE お宿・お食事どころ」の表記が見える。もちろん今ではホテルもレストランもやっていない。一体何十年前に書かれたものか知らないが、まだ交通の便が不便でこんなに車が普及していなかった時代には、10キロ、20キロ移動するだけでも一日仕事で、こんな宿を泊まり歩いて旅をしたのだろう。コモ湖畔の村ではよくこの消えかかった「お宿・お食事どころ」という看板に出くわす。そう言えば、大昔、九州を旅した時に、一体どこの町かもう覚えていないが「朝日館」という傾きかけた小さな木造二階建ての本物の安宿に泊まった。磨り減った畳の上に敷かれたすえたような臭いのする煎餅布団に入った時には「惨め」を通り過ぎて、まるで異世界に飛び込んでしまったような何か楽しい気持ちになった。とは言え、もう二度とあんな節約は止めようと心に誓ったものだ。きっと、このネッソ村の宿もくたびれ果てたマットレスにペンキの剥げた壁、雫がとまらない蛇口、の「朝日館」のような宿だったのだろう。
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SIGMA DP2
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by kimiyasu-k | 2011-02-16 21:19 | Comments(0)