コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2011 05 30 CARENO
ちょっとスパゲティの食べすぎか、、、右のおばさん。今年は「夏」が早くはじまった。まだ5月だというのに隣村のカレーノの水浴場に行くと、村の人たちが日光浴に集まり、まだ随分水は冷たいけれど、元気の良い人は、泳ぎだした。
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by kimiyasu-k | 2011-05-30 21:56 | Comments(0)
2011 05 28 NESSO
2011年5月28日 夜9時半。まだ、湖は随分明るい。これから6月終わりまで日がどんどん長くなる。
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by kimiyasu-k | 2011-05-29 05:01 | Comments(0)
2011 05 27 COMO
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こいつは、コンフェッティという。アーモンドなどを砂糖で包んだ糖衣菓子。
6月に事務所の子、が結婚すると思ったら、もう一人も9月に。少し早いけどと、今日案内状をもってきた。結婚式の案内状を配るときに、このコンフェッティをお祝いのシンボルに食べる。100年も前の銀の入れ物に、刺繍の布を敷き、これぞイタリアの伝統。
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by kimiyasu-k | 2011-05-27 21:42 | Comments(0)
2011 05 25 BERGAMO
ベルガモ、ミラノの北東50キロほどにある山上都市。知ってはいたけど、大丈夫だと思って乗ったケーブルカーの中で、しっかりと棒に捕まりつらそうな顔をして下を向いて汗をタラタラ流していたのは、同行した方で申し訳ないことをしてしまった。地面の上を走るケーブルカーでも急な斜面を登るケーブルカーは高所恐怖症の人にとっては、同じことだとは。ベルガモニ行くには、車を下においてこのケーブルカーで上がるのがいい。近代的な下の街からほんの5分ほどのケーブルカーで上の街につくと突然、中世の町が展開する。
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1798年に描かれた日時計
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by kimiyasu-k | 2011-05-27 21:41 | Comments(0)
2011 05 18
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そのまま転載。


まもなくマル激・原発篇が上梓されます!
投稿者:miyadai
投稿日時:2011-05-18 - 10:38:32
まもなくマル激・原発篇が上梓されます。
河野太郎氏・片田敏孝氏・立石雅昭氏の登場回の加筆修正です。

例によって後書きをご紹介します。
ぜひ本書を購入して各氏の濃密な議論をご覧ください。
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「どう生きるのか」という 本当の問いに向き合うとき
宮台真司

■キーワードは依存
 僕は仙台に生まれた。父親が転勤族だったので子どものころしかいなかった。だが今でも憶えている土地はたくさんある。知り合いも多い。だから今回の地震の震源地が三陸沖だと知って他人事ではいられなかった。家族、友人、知人、いろんな人と連絡を取り合った。 弟が福島第一原発から35キロ離れた福島県いわき市に住んでいた。震災後なかなか連絡が取れずに気を揉んだ。ツイッターで原発事故情報を流しはじめたのも弟が見て連絡をくれるかもしれないと思ったことが理由のひとつだ。5日後にやっと連絡が取れた弟は幸い無事だった。
 震災と原発事故で日本人の自明性に亀裂が生じる可能性を直感した。日本には平時を前提にした行政官僚制しか社会を動かすものがない。民衆も政治家も行政官僚制を掣肘できない。そのことを意識しないまま民衆も政治家も行政官僚制に依存する。キーワードは依存だ。
 行政官僚は既存のプラットフォーム上で最適化の席次争いをするのが責務。そして本来の政治家は社会環境の変化で既存のプラットフォームが不適切になればそれを刷新するのが責務。行政官僚はプラットフォームが適切であれ何であれ、政治家による刷新に抵抗しようとする。
 ご存じの通り冷戦体制終焉後の急速なグローバル化=資本移動の自由化で、経済分野では、どのみち新興国に追いつかれる産業領域で平均利潤率均等化の法則で労働分配率の低下が起こるから、新興国との競争に耐えて経済指標を好転させることに成功すれば勤労者が貧しくなる。 政治分野では、かつてあり得たような再配分政策は機能しなくなる。再配分の原資を調達すべく所得税率や法人税率を上げれば工場や本社が国外に移転する。もちろん税収が減って財政がいっそう逼迫し、生活の安定や将来に不安を抱く人々は貯蓄に勤しんで消費をしなくなる。
 かくしてデフレが深刻化すると購買力平価の均衡則によって為替レートが円高となり、企業は輸出競争力を低下させ、それに抗おうとすれば国外に工場や本社を移転するしかなくなる。かくして税収が減って財政がいっそう逼迫し、不安になった人々はますます消費を控える。
 こうした循環状況は、経済システムや政治システムがかつて前提とした環境がもはや存在しないという意味で「平時」ならざる「非常時」に近い。従ってプラットフォームが変わらねばならない。つまり、産業構造改革や、租税制度改革や、行政官僚制改革が、必須になるのだ。「平時」にしか働かないシステムに依存したヘタレな国が稀代の震災と原発事故に対応できるはずがなかろう。震災と原発事故で日本人の自明性に亀裂が生じと思ったというのはそういう意味だ。日本社会がそれなりのものだといった信頼が木端微塵になるということである。
 「平時」にしか働かないシステムへの依存。あるいは「平時」への依存。こうした依存がいかにもろい前提に支えられているかを震災と原発事故が暴露した。多くの人は津波が何もかも押し流す映像に現実感覚が湧かなかったと言う。「平時」に依存した思考停止のなせる業だ。 震災と原発事故を契機に思考停止が若い世代に継承されなくなってほしい。可能性は辛うじてあろう。僕のゼミにもやむにやまれずボランティアに出かけ、遺体の数々が木枝に串刺しになっているのを見た学生らがいた。彼らが新たな前提の上で社会を再建することを切に望む。


■「安全デマ」にまどわされた人たち
 僕は震災直後から国内外発の原発関連情報をツイッターで大量にリツイートした。ツイッターでも述べたが二つの動機がある。第一は、東電や政府の発表やそれを垂れ流すマスコミ情報を鵜呑みにするのは危ないということ。これらの情報は愚民政策を前提としている。
 本文でも紹介したエリートパニックの概念がある。エリートが民衆のパニックを恐れてパニックになって社会を滅茶苦茶にする。人々の合理的行動計画にはマクシミン(最悪事態最小化)戦略を可能にすべく最悪シナリオの認識が必須だが、官邸がこれを意図して妨害した。 官邸による妨害を単に愚昧なエリートパニックと詰ることはできない。そこには確かに愚民政策がある。だが我々が愚民でないとは断言できない。政府発であれマスコミ発であれ誰発であれ、この情報さえ信じれば大丈夫という依存癖がある限り、我々は愚民そのものだからだ。 つまり、内外の原発関連情報を敢えて玉石混淆のままリツイートした第二の動機は、こうした自明性への依存癖がどれほどのものかを確かめたかったということ。案の定、否定的反応と肯定的反応が極端に分かれ、原発問題でおきまりの「陣営帰属&誹謗中傷」が反復された。
 「不安を煽るのか」「デマを飛ばすな」「いつから反原発になったのか」…。2週間続いた。この間、政府・東電・マスコミ・御用学者は「放射能漏れは僅か」「終息しつつある」という情報を流した。だが3月末に最悪シナリオが具現化し、反発ツイートは一挙に消滅した。 愚民ぶりも露わな反発ツイートの背後に何があるのか。震災数日後には東京を離れた標高1200mの山荘に僕や知人の子どもたちを疎開させた。政府が各地放射線量を計るリアルタイムモニタリングを公表しない以上、政府情報は「安全デマ」だと判断したからだ。 ちなみに自宅近所の世田谷区や目黒区の幼稚園や小学校では終業式前後の段階で半数ほどが疎開した。疎開させた親はむろん政府・東電・マスコミの情報を信用していなかったことになる。ならば疎開させなかった親は政府・東電・マスコミの情報を信用していたのか。 必ずしもそうではなかろう。僕や妻もそうだし知り合いの編集者(とその妻)らもそうだが、苦労して疎開先を見繕った。気を遣わせ過ぎたり遣い過ぎたりしない関係性で、なおかつ疎開先がそれなりの居心地を与えてくれること。ああでもない、こうでもないと話し合った。 話し合いをしながら感じた。僕たちは日本社会ではラッキーな方だろう。相談できるくらいにはソーシャルキャピタル(人間関係資本)がある。でも若い夫婦の多くはそうではなかろう。かつてスワッピングの取材で「二人寂しい夫婦」が如何に多いのかを知って驚愕した。
 人間関係資本を持たない人々は、政府や東電やマスコミの「安全デマ」を信じるしかなかったのではないか。頼れる人間関係がなけれは、「放射能の危険があるとして、子供をどこに疎開させる?当てがない」という苦しい状態に陥る。ならば、宮台ツイートこそがデマなのだ。自分にとって回避できないもの––例えば自分自身の属性––に合わせて、整合するように他の事物を認知的に歪曲しがちだとするのが、フェスティンガーの認知的不協和理論やハイダーの認知的バランス理論だ。総じて認知的整合性理論congnitive consistency theoryと呼ぶ。 ソーシャルキャピタルというと日本では上下水道の如きソーシャルインフラを意味するが、この言葉を最初に用いたハニファン(1916年)によると、メンバー相互の善意、友情、共感、社交を指す。金銭に還元できる資本とは異なる、金銭に還元できない資本という比喩である。 巷間では格差社会というと経済の格差を含意するのが専らだ。だが今回の震災で露わになったことの一つは人間関係資本の格差だ。これは目に見えないぶん気付きにくい。そのせいで、人間関係資本の脆弱さに由来する事柄が、行政官僚制の不備として糾弾されたりしている。


■仮設住宅の自殺・孤独死の可能性にどう対処するか
 人間関係資本の不足は被災地支援における末端ディストリビューションにおいて現れた。海江田経産相が不足物資を送れと号令をかけた結果トラックが列をなして現地に行った。でも末端でのディストリビュージョンができない。義援金は集まったけどなかなか配分されない。
 行政を糾弾する向きが多い。だが行政は所詮平時を前提とするシステム。問題は〈共同体自治〉と〈市民自治〉の脆弱さだ。これらが脆弱だと行政は被災者個人と向き合うことになる。でも行政は身分証明のない個人に被災証明を出せず、被災証明がないと金銭は分配できない。
 各国の例を見ても大災害時には地縁共同体や教会組織を介さねば末端ディストリビューションは無理だ。それを示す例が今回も見られた。実は創価学会の避難所が物質的にも精神的にも最も安定していた。信者仲間としての共通前提ゆえに数多のものをシェアできたからだ。 一般の避難所では配給物資を手にする順番を巡って険悪な雰囲気になりがちだった。避難所の規模が大きい程そうなりがちだった。だから配給物資が少しずつ届いていても全員分揃うまで配給できない滑稽な事態が見られた。こうした事実の背景要因に対する指摘が少なすぎる。 人間関係資本の問題は復興計画にも関わる。阪神大震災では4万3000世帯9万人が仮設住宅に入ったが、震災後4年間に仮設住宅での自殺と孤独死は合わせて250人に上った。今回の震災では5月10日時点で12万人が避難生活をしている。このままでは大変なことになろう。 阪神大震災後の悲劇は金銭や住居があるだけでは人が生きていけないことを示す。経済的資本だけでなく人間関係的資本なくしては“生きる甲斐”がなくなる。それに関連するが、被災者は元の村ごと移転するのを望む。当然の希望だが、それでは移転先で分断と差別をもたらす。
 移転先に元々ある地域社会が移転者たちを包摂する新たな〈共同体自治〉を構築する動きに向かうべきだ。こうした動きを支援するための知的かつ経験的な議論が必要だ。移転先に元々ある地域社会もどのみち空洞化している。だから共同性再構築の絶好の契機にもなる。 三宅島噴火のとき村ごと強制移住命令が出て住民は東京都や神奈川県に分散した。数年後帰宅許可か出た。だが帰島した人は1割もいなかった。移住先で既に生活基盤とりわけ人間関係ができていたからだった。こうした適応––住めば都––は日本人のいいところでもある。
 その意味では仮設住宅受け容れに併せて各地で定住化政策を進めるべきだ。定住化の希望が出てから対処するのでは遅すぎる。かつての震災の経験に学んで行政が先回りすべきだ。こうした提案は被災者からは出てこない。当事者の要求に対応するのが最善とは限らない。後述するが、同じことは震災後の街作りにも言える。当事者のコンビニエンスやアメニティの要求に応えることを最優先すれば、沖縄の米軍用地返還後の跡地利用(北谷や天久)がそうだったように、大型スーパーとコンビニと量販店からなるショッピングモール化が進む。 コンビニエント(便利)な街やアメニティ(快適さ)溢れる街はどこにでもある。そこでは場所と人の関係が入替可能になる。結果としてそこは住む人にとって便利で快適ではあっても幸福を欠いた実りのない場所になる。そうした事態を避けるための議論が少なすぎる。 人々のニーズに応じた結果、人々が必ずしも望まない街作りがなされる。この逆説は古くから知られている。逆説を回避するには迂回路が大切だ。環境倫理学者キャリコットによれば、こうした逆説は、功利主義にせよ義務論にせよ、人間を主体として考えるから生じる。
 人間を主体として考えるのでなく、陸前高田という町を主体として考える。我々人間は、陸前高田という町に寄生する存在に過ぎない。陸前高田はそれではどんな生き物なのか。歴史を遡ることによってそれを精査し、陸前高田という生き物に相応しい将来を考えるのが良い…。


■〈良き共同体〉とはなにか?
 この数年間僕がずっと言ってきたことは「任せる政治から、引き受ける政治へ」あるいは「(市場や国家など)システムへの過剰依存から、共同体自治へ」ということだ。システム過剰依存は思考停止をもたらす。思考停止は安全保障上重大な帰結をもたらす。今回がそうだ。
 本文中でも議論になったように、「完璧な」安全策を講じた原子力発電所にせよ、「ギネス級の」高い堤防にせよ、今回の震災は、システム過剰依存が、システム機能不全の際、生活世界に如何に恐ろしい事態をもたらすのか、まざまざと見せつけた。

つづき
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by kimiyasu-k | 2011-05-18 14:33 | Comments(0)
2011 05 16 COMO
5月5日、成田からミラノマルペンサへのアリタリア、搭乗が始まる前の手持ち無沙汰な待ち時間はいつも本屋を覗く。空港内の本屋、少ない本の中から小川三夫さんの「宮大工と歩く奈良の古寺」という文芸春秋の新書を買う。いまさら「奈良の寺か」と思いつつも、たまには建築の本を、仕事、仕事とレジで支払いを済ませ、飛行機の中に持ち込んだ。
法隆寺、法輪寺と読み進むと薬師寺。はるか昔の記憶が蘇る。薬師寺は東塔しか遺構が無く、1960年代、高田管長の発起により、金堂、西塔、などの復元再建が着手された。大分古くなった頭のメモリーを検索すると、はるか40年前、中学三年生のときに修学旅行で訪れた奈良の見学には薬師寺も含まれていた。薬師寺には有名な面白い坊さんが話をしてくれるということで、今思えばそれは、この大事業に臨んだ高田管長だったのだろうか。当時まだ再建計画はスタートしたころで、美しい東塔しか薬師寺には無かった、と思う。
宮大工の小川さんは高校の修学旅行で出合った法隆寺の塔に感激し、昭和の宮大工、西岡常一さんに内弟子として1960年の初め入門する。1300年前の建物、一体どんな人がこんな綺麗で凄いものを作ったのだろうと衝撃を受けたと、前書きに記している。父親は銀行員でクラスで成績も悪かったという小川さんはその後、法隆寺五重の塔をはじめ薬師寺など様々な建築の解体修理、復元工事などを手がけて行く事になる。

あの奈良への修学旅行の頃の記憶を辿っていくと、1969年には、アポロ11号が月に行きアームストロングが月に降りる瞬間を実況中継で放送したのを中学校で皆で固唾をのんでみた。1970年、大阪万博で科学のもたらす未来社会に夢を描いた。未来を思わせる奇妙奇天烈な形の様々な国のパビリオンが、その後の日本の経済成長を象徴していた。

テレビではあまり登場しないがインターネットで福島原発を検索すれば必ず名前が上がる人に小出裕章さんがいる。小出さんは、1947年生まれの宮大工の小川さんの2年あとに生まれた。今は、京都大学原子炉実験所で助教をされている。1970年ごろ、東北大学原子力工学の学生の時に、女川発電所の建設をめぐる反対市民の主張、「原子力発電所はリスクがあるから女川町のような過疎地に作る。」というシンプルな理由に気がつき、原子炉実験所に身を置きながら、「原子力をやめるための研究」に40年間、捧げてきた。残念ながら、この40年間の研究成果を発表する事態が起きてしまった。3月11日前には、耳を傾ける人も少なかった小出さんの講演も、今では毎回人が入りきれないほどだ。

1970年、科学技術が未来を眩しく照らしだしていた。鉄腕アトムは原子の力で百万馬力を出し、マッチ棒一本のウランが石炭3トンという、電力会社の宣伝に「これは夢見たいな話だ。凄い!」と思ったことを今でもはっきり覚えている。

そんな科学万能のこの時代を、小川さんは、1300年前の法隆寺の五重の塔を夢見て、小出さんはその危険性に早くも気づき原子力発電を止めることを夢見て、この40年を戦い続けてきた。
薬師寺は西塔、金堂も復元された。きしくも、福島は事故で、浜岡は首相の政治的判断で止まることになってしまった。2011年、夢を実現された(小出さんはまだ途中だけれども)お二人の名前を、個人的な面識があるわけでもないのに思わず親しみを込めて「さん」付けで呼びたくなるのは一体どうしたことだろう。
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by kimiyasu-k | 2011-05-16 16:22 | Comments(0)
2011 05 09
骨董屋で見つけた二匹の鴨。古ぼけた置物と思って手に取ると思いの他、軽い。何だこれはと裏返してみるとどうもコルクでできているようだ。骨董屋に聞くと、これはベネチアの汽水域で、狩に使った囮の鴨。実際に水の上に浮かべて仲間の鴨をおびき寄せ、鉄砲でドン。とてもリアルな目玉はベネチアンガラスでできている。そう言えば、ヘミングウェイは、ベネチアが好きで猟銃を持って随分長い間滞在していたようだ。ヘミングウェイの狩人の姿をした白黒写真を見たのは一体どこだったんだろう。
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バルコニーから湖面を見ると、今年も家の近くに住み着いているカモが子ガモを9匹連れて、うろついている。まだ生まれて数日しか経っていないのだろう。残念ながら、猫の仕業か毎年、日ごとに数を減らしていき3匹残れば良いほうだ。
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by kimiyasu-k | 2011-05-08 21:01 | Comments(0)
2011 05 07 COMO
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連休明けにイタリアに戻ると事務所のバルコニーにあるレモンが沢山の花をつけている。
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by kimiyasu-k | 2011-05-08 06:06 | Comments(0)
2011 05 03
2011年5月3日、ゴールデンウィークの真っ只中の東京。
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by kimiyasu-k | 2011-05-03 13:03 | Comments(0)