コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2011 06 02 NESSO
今日は、イタリアの共和国記念日。いよいよコモ湖も本格的な観光シーズンがはじまり、大きな観光船が村の船着場に、取り舵一杯で入ってきた。近所に家をもつピザピアはミラノに暮らしていて一年くらい前から定年退職して、土日はほとんどこのネッソ村のセカンドハウスに来て過ごしている。働いていたときは運送会社につとめ、日本のお客さんとも随分仕事をしたようで、イタリア人からみたら不可解な日本人の働き方を面白おかしく語っていた。骨董屋で買った日本の置物を大事にしていてメールで写真を見たりした。家に招待したときには、お手製さば寿司を旨いと言って食べていた。もっとも、食に関しては徹底的に保守的なイタリア人、本当は無理して食べていたのかもしれないが。で、そんなことは本当はどうでもいいことで、ようやく、ようやく、ミラノの市長選、右のモラッティ(=ベルルスコーニ)が彼の親類というピザピアに打ち負かされた。裁判官買収から少女売春まで、これだけ、負の話題で世界中を騒がしたイタリア首相、ベルルスコーニ。6月には、原発再開、水道水の私有化の国民投票も行われる。ミラノ教会の石膏像を頭にぶつけられてから一年以上たったろうか。イタリアも「取り舵いっぱい」。
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by kimiyasu-k | 2011-06-04 02:07 | Comments(0)
2011 06 01
1,2週間前、イタリアでラクイラの地震に関して、予想できなかったことに対して確か5人の地震科学者が起訴されたという記事を、日本の新聞でもよんだ。
今回の福島原発の事故を巡っては、当然電力会社、政府に責任があり現在補償を巡って様々な方法論が検討されていることはニュースで知らされている。
原発事故により、自分の住んでいる家から着の身着のままで避難し、不自由な生活をしている方々は「被害者」として、お金では償われないような被害を、「個人」「個人」が被っている。
それに対して加害者は、「会社」「政府」「委員会」という組織であり、人格をもった個人の姿はない。被災者の方に頭を下げたり、励ます政治家は確かに存在するが、一歩、会社、政府から外れれば彼らに個人的な責任は全くなく、おそらく道徳的にも一旦、組織から外れれば感じることもないだろう。役職を退くという形で一見責任を取るようだが、よく考えてみれば、退くことによって責任から開放される。加害者であることから開放される。一方、被害者は決して、解放されることはない。ある日突然、自分の住む家を、土地を見捨てて、異郷で暮らさざるをえなくなったこの人たちは一生、被害者でありつづけなければならない。このような自明の「不条理」を前に一体何ができるのだろうか。ここには「個人」という弱者と「企業・政府」という強者の関係が、被害者と加害者という関係に見事に反映されている。危害を加えれば、危害を加えた者は刑事上の罰を受けなければいけないという、法治国家の基本がここでは遂行されない。
イタリアの地震科学者、研究機関で地震を予知すべき立場にいた「個人」が起訴されたことは、こんな日本と随分対照的なことのように思える。原発問題は差別問題と語っていたのは、誰だったか。
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by kimiyasu-k | 2011-06-02 02:10 | Comments(2)