コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2013 04 30 あきれた
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SIGMA DP-1
本当に,あきれるほど日本の政治家は国際感覚,というかここまで来ると常識が無いと思う。猪瀬知事のオリンピック誘致を巡る発言について言っている。トルコはアラーの唯一神で喧嘩ばかりしている,階級社会だからオリンピック開催に相応しくないと。いくら何でも小学校の学級委員長でもこんな発言はしないだろう。こういう人を知事に選んでいるのが「東京人」で恥ずかしくないのかな。たしかに前知事も島買い上げようとしたりしてかなり国際感覚からずれていたから,東京はこういう巨大地方都市で,もう少し頑張って常識身につけないとオリンピック開催させてもらえないだろうな。柔道界で暴力沙汰も起こしたし。まあその分,なかなか進まない震災復興とフクシマ廃炉事業にエネルギーをそそぐことにしよう。まだまだ困っている人が沢山いるから。
猪瀬知事発言の本当の問題を理解したい方はこちらから
郷原氏は猪瀬知事の行為が、法令尊守を隠れ蓑としているだけで、その法令のできた意味、つまりオリンピック本来の意義を全く理解していないことに批判の言葉を投げかけている。
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by kimiyasu-k | 2013-04-30 14:36 | Comments(0)
2013 04 29 つかれた
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
4連休,こう雨続きじゃ,本も読み疲れた。
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by kimiyasu-k | 2013-04-29 02:44 | Comments(0)
2013 04 28 とまととなす
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
今年は寒くて遅い。雨の温室でトマトと茄子の苗の準備。
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by kimiyasu-k | 2013-04-28 06:42 | Comments(0)
2013 04 27 ひさしぶり
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SIGMA SD15 70mm F2.8 MACRO
ちょっと季節外れのみどりのクリスマスローズ。ひさしぶりのシグマ,カメラの事です。
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by kimiyasu-k | 2013-04-26 15:24 | Comments(0)
2013 04 26 糸杉の館 受付
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
27年前の今日,チェルノブイルで事故が起きました。
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by kimiyasu-k | 2013-04-26 05:03 | Comments(0)
2013 04 25 ベンティチンクエアプリーレ
今日は祭日,25アプリーレ。
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
第二次世界大戦,日独伊三国同盟と日本の教科書では学ぶけれど,イタリアでは今日は終戦記念日ではなく開放記念日という。イタリアは何から開放されたのかと言えばヒトラーのナチとムッソリーニのファシストから,人民が開放された。つまり現在のイタリア史観で言えばムッソリーニはイタリアを「不当」に独裁していたのであり,「イタリア」は国民が同意して作られた,軍事独裁国家であったことは無い。だからイタリア人に第二次世界大戦をドイツと一緒に戦ったなどと言っても話が通じない。
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by kimiyasu-k | 2013-04-26 02:23 | Comments(2)
2013 04 24 トルノ TORNO
再開した自転車通勤中継点のトルノの村。トルノTORNOはイタリア語で,偶然か「私は帰る」という意味で何となくいい感じなのだ。
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
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by kimiyasu-k | 2013-04-25 05:02 | Comments(0)
2013 04 23  ものもうす
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(かつて)大学の工学部建築学科には建築の歴史を研究する教室があり,そこでは単なる建築の技術や意匠上の様式などの歴史だけでなく哲学や美学,社会学などと建築の繋がり,「建築の価値」について研究が行われていた。
一方,機械学科や電気学科などの学科では,全く歴史研究などは行われず,純粋に技術的な側面のみが探求されていた。よしんば技術と社会の繋がり,技術の価値に関する講義,議論などは全く行われていなかった。おそらく今でも同じだろう。
技術に携わるものが,技術の価値と限界を知らないでどうして,それを実践することができるのだろうか。例えば,大量の人を虐殺する兵器を開発しなければいけないという状況におかれたとき,今の技術者はどれだけ,そのような技術がどのような価値,意味をもつか判断が出来るのだろうか。平和を維持する為に兵器が必要,どうせ誰かがやらなければならない事,敵の脅威から自分を守るためには必要,というアリバイをつくることは可能かもしれない。兵器は極端な例ではあるけれど、実際、技術は様々なところでこのような「価値」の評価と表裏一体のところで進められている。

宗教が時にはあり得ない奇跡を起こしたり,論理的な矛盾があろうとも,また信者以外から白い目で見られようとも信者にとっては絶対的な「価値」である。カトリックの国,イタリアで暮らしているとその事を痛感させられる。基本的に仏教徒である日本人には理解不可能、ほとんど愚かとさえ映るカトリック信者の様々な儀式や行為,思考は,宗教が絶対的なある「価値」を持っているからだ。
これと同じようなことを現代人は宗教以外で行っているように思われる。現代社会にとって「技術」は絶対的な「価値」となっているのではないか。今の若い世代の中には何となく新しい傾向が感じられるが,とりわけ,高度成長と消費社会を享受した私達世代は,まるで「技術」を宗教のように信じ込んでいる。

オウム真理教のような妄信的な宗教が暴走し,サリン事件のようなとんでもない事件を引き起こすのと同じようなことを,今の「技術」はしていないのだろうか。「技術」という言葉は「科学」という言葉に置き換えても良いかもしれない。
よく議論の中で、ある主張が科学的であるかないかという話が持ち上がる。つまり科学的であることは正しく,科学的でないことは正しくないというほとんど「公理」と呼んでよいほどの前提で,議論がされる。例えば、放射能の影響が一体何ベクレルまで許容できるのか,被爆量と癌の発生率の間の関係は科学的に検証されているのか、単なる推論の域をでていないのではにのか。それによって、原発擁護派は反対派の主張が科学的ではなく、誤りであると主張したりする。また逆に反対派は,チェルノブイルの事例をとって科学的に,彼らの意見が正しいことを主張したりする。
注意したいのは,両者とも,おそらく誰独りとして,「科学的」であることと「正しい」ことがほとんど同義語のように用いられていることに疑問を持っていない事だ。
しかし、一歩引き下がって考えてみれば,その科学という物差し自体が、果たして「正しい」ものであるのか、果たして人にとってポジティブ側に常に働く物差しであるのかは誰も回答できないことは明白だ。
ここで言いたいのは個々の技術,例えば携帯電話だとかコンピューターとか自動車とか,そのような個々の技術,あるいは原子物理学や生物学といった科学が人の役に立つか立たないかという議論ではなく,「科学」という概念そのものの限界について話そうとしている。
近代科学が生まれて300年が経つ。その科学の限界を見極めないところで社会的な決定が行われる場合、かつて,ある社会的な選択を,占い師が神の意思にそぐうものであるかどうか判断して決定されていたと同じほどに、科学的決定が「恣意的」であることに科学,技術信奉者は気が付いていない。
繰り返しになるけれど「科学的選択」がたとえ自明のごとく一見「正しい」社会的選択であるかのように全ての人間が同意していたとしても,その自明性は全くの思い込みであり,そのような社会的な選択は極めて「恣意的」なものであり決して普遍的なものでは無いということだ。たとえ其れが今この時点で現代社会が行える最良の選択であったとしても。

天動説は科学により覆され地動説にと取って代わったように,かつて「世界観」を支配していた宗教は一部,近代科学によって置き換えられた。それと同じように科学は他の何物かによって「超えられる」ことを待っているような気がしてならない。
高度に進む情報技術,遺伝子工学,材料学など毎日のように塗り替えられていく「科学」に自分はついていけない,暴走する科学を判定することができない、という単純な議論ではない。また「科学」は今後,無限に発展し,未知の世界を解明していくことによって自らの限界を乗り越えていく,などと言った楽天主義科学者の言説は全く聞くに値しない。
単に科学者,技術者の道徳問題として捉えればと主張する人が居るかもしれない。科学,技術の中で「善と悪」の選別を行えば良いという考え方だ。遺伝子操作などにおいてはこの考え方で善と悪との境界線をどこに設定するかという作業を社会的なコンセンサスを踏まえた上で行われている。
このような考え方は,一見有効で現実的であるかのように思えるがそれはあくまで「科学」のこちら側での作業であって,その向こう側にある意味を切り捨ててしまう。
なぜなら人はある限られた時間,空間の中でしか生きられないのであり,まぎれもない「現実」を生きているからだ。
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by kimiyasu-k | 2013-04-23 14:49 | Comments(3)
2013 04 23 場面 SCENA
毎日何気なく通り過ぎてしまうところにも必ず「場面」が潜んでいる。
Anche dove passo tutti i giorni disinvoltamente, ci sono scene nascoste.
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
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by kimiyasu-k | 2013-04-23 05:53 | Comments(0)
2013 04 22 ズゴンブロ
鯖寿司が食べたくなってしまった,mobulamobularさんのScomber scombrusを読んだら。誰に聞いたか思い出せない,新妻さんか高橋さんか,はたまた他の誰かか。〆鯖はまず砂糖で〆ると俄然美味しくなると。試してみると確かに美味しい,気がする。まあ,お酢は白ワインビネガーだし,お米もイタリアのリーゾオリジナーレというお米だからそんなに細かい事を言う必要は無い。でもやっぱり〆鯖は美味しい。鯖はイタリア語でズゴンブロ
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EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
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by kimiyasu-k | 2013-04-22 05:00 | Comments(0)