コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2017 04 27 マリオが死んだ
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マリオが死んでいた。一週間程日本に帰国し帰ってくると隣で一人暮らしをしていたマリオが死んでいた。あとで知った事だけれども,ガスコンロに火をつけてラジオがついたまま心臓マヒで死んだ。ガスコンロは熱で火が消えて、漏れたガスが廊下にも充満していて,下の階の若者が気づき,通報,消防士が家を開けた所,マリオは床に倒れて死んでいた。
マリオは、南イタリア、ナポリの近くのサレルノの出身だった。自分のサインもできないくらいだったから、おそらく義務教育もきちんと受けないままに建設現場の労働者として、コモに来たのだろう。年金暮らしになってから5,6年は経っていたから歳は70歳くらいだったのだろう。力仕事の現場で働いていたから体は結構がっちり太っていて、スパゲッティは300グラムは食べると言っていた。でも何故かいつも難しい顔をして、おまけに言葉がサレルノなまりの上に、言葉足らずというのか、よく意味が理解できなかったから,なんとなく廊下で出会っても、避けはしないものの話し込むことは無かった。家には誰かが訪ねてくる訳でもないし,何回か入ったことがあるけれども家はがらんとして,あまり物が無くて,薄暗い電気がついてちょっと寂しい感じだった。年金暮らしになったら国に帰ると言っていたけれども、ずっとコモで一人暮らしをしていた。日課はコモの街の散歩で、ゆっくりとちょっとがに股に、妙に素敵な帽子を冠って,歩く姿をよく見かけた。
30年間も隣だったけれども、マリオは何となく何時も,孤独だった。そんなマリオも、ここ数年前から隣に住む未亡人のピエラさんのところに良く出入りしていた。数年前に夫を無くしたピエラさんも一人暮らしで、よく2人で何かを話していた。でも仲が良いという感じでもなく,なんとなくピエラさんは迷惑だったのかもしれない。そのピエラさんが無くなったのもほんの一月程前だった。だから、4戸しかないアパートの3階の住人は,残す所となりの年老いた同性愛のカップルと私の事務所だけになってしまった。
そう言えば数年前,事務所の呼び鈴が鳴った。ドアを開けるとそこにはマリオが立っていた。いつものような難しい顔をしたマリオが「お金を貸してくれ」という。ちょっと引けてしまったけれども一体いくら必要かと聞くといくらでも良いという。わずかの年金暮らしで、共益費を払うのも苦労していたのを知っていたから、手元にあった一万円程を貸したような気がする。でも、その一万円は返ってこなかったように思うし,自分もお金を渡したときに助けてあげるために返してもらおうとは思わなかった。しばらくして1,2回また5,6000円を渡したように思う。経緯は忘れてしまったけれどもその事で,マリオのアパートに行くと,そこには見た事のない若くはない女性がいた。
そんないつも難しい顔をしたマリオが満面の笑みを浮かべたのは,レオを見た時だった。もう顔面が溶けてしまうんじゃないかという笑みを浮かべて「お前の犬か、可愛いなあ、なんて名前なんだ」という。「純血種なのか,高いんだろうな」という。いつも難しい顔をしてるからマリオが子犬を可愛いなんて思うとは、考えてもみなかったからちょっとびっくりして嬉しい気持ちがした。
おそらく豊かではない家に生まれ,あまり教育も受けないまま12,3から建設現場で力仕事をして,故郷を離れずっと一人暮らしを続けて心筋梗塞で誰にも看取られる事もなく独りで死んでしまった難しい顔をした粗野なマリオだけれども、レオを見た時に浮かべたあの笑みがマリオの本当の顔だと僕は思っている。


















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by kimiyasu-k | 2017-04-28 05:46 | Comments(4)
2017 04 26 詫び、寂び、そして駅弁
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日本に行くと,帰ると、か,この問題が起こる。駅弁問題だ。昔は駅弁は,駅によって大体決まっていたからそんなに選択の余地は無かったのに,今では東京駅では,2,30種類の駅弁があるから一体どれを買うのが正解か判断に難しい。そこには人気の順などが書いてあって、どうも肉系の焼き肉弁当とか豚カツ弁当とかその手の食べごたえのある駅弁が人気らしい。まあ焼き肉や豚カツはわざわざ駅弁で食べなくても他に食べる機会がいくらでもあるから、そして、わざわざ冷たい駅弁を買うのだから昔の駅弁への郷愁で,いろいろ入った,いわゆる幕の内弁当系のものを買う事にした。今回は新横浜の駅だったから特別シュウマイを食べたいと思った訳ではないけれども、シュウマイ弁当にした。値段も安い。どうもあまりこの弁当は人気が無いみたいだ。
ともかく厳選した崎陽軒のシュウマイ弁当だけれども、まだ問題が全て解決した訳では無い。
蓋をとれば、姿を現す様々なオカズをどんな順番で食するかという、更に難しい問題が折り詰めにひしめいている。
本来ならばシュウマイ弁当なのだからシュウマイが主菜の王様となるべきなのだけれども、シュウマイでは余りに役不足なのだ。確かに崎陽軒の伝統ある正統的シュウマイではあるけれども、オリジナルは中国、中華料理のメニューだ。だから幕の内系駅弁という、日本古来の伝統にはそぐわない。実際その事はこの駅弁を作っている崎陽軒が知っている。この弁当に入れられたシュウマイは、本来の大きさよりかなり小さめの上に、どうみても目立たないご飯との境界線近く一列にまるで垣根のように並べられているのだ。だから派手なシュウマイ弁当という黄色の包み紙からの期待は見事に裏切られてしまう。この程度の重要性ならばまずは一つシュウマイを口にしても全く問題ない。冷めたシュウマイの物悲しい旨さに喜びを感じつつも心はもう既に他のオカズにあり、丹念に解析をする。例によって黄色い卵焼きとドピンクのかまぼこがまず目に飛び込み、ひとまず安心をする。その横にある地味な揚げ物は、これも定番のあの鳥の唐揚げだろう。その横、不明の魚物体がある。煮付けてある。これは口に入れてみないと一体なんの魚か分からない。そしてその横、端にはこれも定番タケノコの煮付けみたいのが入っている。あとは漬け物が左の肩に。どれから食べようかと思い悩むところだけれども、まずはご飯、真ん中に梅干しが一個配され、この8っつのマスに分けられ黒ごまの掛かったご飯を、ひとマスだけ食べてからじっくり考えるとしよう。とはいえ目的地まであと10分しかないからここは早喰らいもしなければならない。ご飯は弁当箱に引っ付いて奇麗に一マスを食べることができないのが心残りだけれども、まああとで割り箸で欠き取って奇麗にすれば良い。さて、一個のシュウマイのあとに臨むオカズは、余り期待のできない鳥の唐揚げだ。思った通りの冷めた揚げ物の味気なさが口の中に広がる。もう一マスご飯を食べて口を直そう。ちょっとタケノコを摘みつつ、その次は蒲鉾が順当なところだろう。蒲鉾が終えてしまえば派手なピンク色の無くなってしまったお弁当はどこか寂しさをましてしまった。失敗だったかと思うけれども、新幹線はもう富士を過ぎてしまった。正体不明の魚に手をだすと、なんとマグロだ。こいつはシュウマイ弁当の中の隠れた主役、本当の主役ではないか。主役にしては出番が早すぎると、まずは卵焼きを終えたあと、マグロとご飯を交互に食べて、駅弁のクライマックスとなる。それにしてもシュウマイ弁当と名付けながらマグロの煮付けとは、崎陽軒もなかなかシャレたことをするなあと感心をしつつ、あとは、漬け物やら残ったタケノコなどを終えて、もう面倒になった張り付いたご飯粒は無視することとして、ほぼ、満足の、あの蛍光灯の眩しい新幹線の中の、わびしい一人の夕飯が終わる。もう列車は清水まで来ており、急いでゴミをまとめて、下りる準備をしよう。これまた侘しい車内の停車駅案内が侘しい電子音楽と共にアナウンスされる。「まもなく静岡です。どなた様もお忘れ物のないよう、、we will be soon at Shizuoka,,,,,.」いやはや、日本に帰国すれば本当に日本は「侘び、寂び」文化の国だと新幹線に乗っても感じでしまう。




















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by kimiyasu-k | 2017-04-26 04:58 | Comments(2)
2017 04 25 開放記念日
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第二次世界大戦の終了は,イタリアでは解放記念日と言う。これはムッソリーニを党首とするファシスト政府とドイツナチによる占領から開放された事を記念する日だ。日独伊三国同盟と勉強している日本人にはファシスト政府はイタリアそのものの筈なのにどうしてそこから開放されなければならないのかという違和感を感じてしまう。これが歴史認識というものだ。歴史は事実の羅列によってできている訳ではない。現在の自分の置かれている立場の「基礎」がどのように認識,解釈,構築されているかという問題だ。だからイタリアの現在は,ファシスト,ナチという軍事独裁政権と戦うことによって、そのような戦前の体制に反して生まれた民主主義の共和国という定義がされているのであり、その象徴的な記念日が今日,4月25日というわけだ。感情的には随分御都合主義という感じがしないわけでもない。でも「歴史」というのはこのような定義付けであり、日本が相変わらず中国や韓国から、歴史認識をとやかく言われるのは、このような現代日本の再定義を、戦前の体制との決別という形で行っていないためだ。いつまでも「感情的」に戦後を引きずっているよりも、事務的に戦後の定義をすれば良いだけなのに、こんな簡単な事も「感情的」な政治家には分からない。

































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by kimiyasu-k | 2017-04-25 20:36 | Comments(2)
2017 04 24 ひな菊
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by kimiyasu-k | 2017-04-25 03:53 | Comments(0)
2017 04 16 パスクア
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4
パスクアは
復活祭
山肌に深い陰影を落とす
夏の光が
近づいている






















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by kimiyasu-k | 2017-04-16 22:25 | Comments(0)
2017 04 10 すずらん
ご招待頂いた上に大きなチーズを4個と、鈴蘭の花を手みやげに頂いてしまった。

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「日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。」もちろん日本国民はと書いてあるから、自国でなくアメリカ人がシリアにミサイルをぶち込むのはとても良いことであって、いち早く賛同の意を表した日本国民の首長は決して憲法にうたうところの理念に反するものではない,なんて理屈は小学生でも通じない。



















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by kimiyasu-k | 2017-04-12 06:06 | Comments(2)
2017 04 08 スミレ フクシマ
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4
誰かが誰かに100万円あげたとか,すごく安く土地を手に入れたとか,数字を誤摩化していんちきして助成金を沢山もらっちゃったとか,まあ枝葉末節な事はいろいろあるんだけれども、問題の本質は,日本を太平洋戦争にと導き多数の国民の命を奪った戦前の教育思想,社会的価値観をそのまま継承,復活しようとする森友学園という教育機関に多くの政治家や活動家,企業人,宗教家などが賛同していたという事実であり、事もあろうにその中に現代、2017年の日本政府の首相が含まれているということだ。そのような「人物」に日本の運営を任してしまっているというとてつも無い危機的状況に直面しているのに誰もが見えない振りをしているのが、まるで2011年3月11日の電力を完全に喪失してしまい炉心溶融をはじめたフクシマを見ているようだ。
























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by kimiyasu-k | 2017-04-09 05:44 | Comments(0)
2017 04 07 愛国心
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イタリアの葱はポッロPORROといって日本の葱よりも大分大振りで、味も引き締まった感じがない。だから日本から種をもってきて畑で育てる事になるのだけれども、ともすれば生産過剰になってしまい収穫しないとあっという間に葱坊主になってしまう。でも葱坊主は観賞植物と思えばこれはもう素晴らしい造形物であって、こんな奇麗な植物はなかなか自然界には見付からない。だからこうして日本の葱坊主を砥部で買った器に差して工芸品のように愛でる事になる。こういうのを本当の「愛国心」というのであって、イタリアの葱は大味で不味いなどと言いまくったり,鉄砲持って外国に出掛けて行ったりするのは愛国心からはほど遠い。それは単なる劣等コンプレックスだ。やっぱり自分は心から日本を愛しているのだなあと砥部焼きの器に差した葱をみてつくづく思ったりする。













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by kimiyasu-k | 2017-04-08 11:14 | Comments(2)
2017 04 06 さくらさく
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by kimiyasu-k | 2017-04-07 04:50 | Comments(0)
2017 04 02 三回,VILLA SORMANI
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朝、鯖寿司を4本作ったあと,庭に行って梯子をのぼり、伸び過ぎた月桂樹の木を4本切った。ずっと日陰でいた薔薇に光が届くようになって今年は白い薔薇の花が沢山咲くかも知れないと気持ちも明るくなった。木を切るのは楽しいけれども、その後の片付けが大変だ。邪魔にならない程度に片付けて,昼も過ぎたので家に戻った。これから料理をするのも面倒だと、今日の昼食は生ハムにした。赤いスライサーで生ハムの塊をスライスして皿にのせれば良いのだからこれほど簡単な食事はない。困る程採れ過ぎて成長し過ぎたトレビスの葉を細かく切り,そこにアンチョビーの3,4枚加えてドンブリ一杯のサラダを合わせた。あとは、冷蔵庫から大きなチーズのトレイをテーブルに持ち出して,そこからちょっと若いクアルティローロ,半年程前に見付けたとても美味しいバディーレ,味の濃厚なモンテ,ちょっと軽めのバルテッリーナなど,4,5種類のチーズを食べて昼飯とした。さて午後からは昨日友人に教えてもらったルラーゴデルバの古物市に出掛けた。骨董でなく,古物だけあってあまり碌なものは無かったけれども,それでもガラスの花瓶,二本の折りたたみナイフ,真鍮のトレイ二枚とピルケース,ワインの栓抜き,ルーペ,小型の鋳物ストーブなど、買い込んで来た。別に特別みんな必要な物というわけではないけれども、こういう市の目的は,自分のお気に入りのものを見付けることと鑑定団じゃないけれども、なんとなく自分の値踏み,を試すみたいなところで、たかが500円のものでも、ドーパミンが少しでて楽しい思いをする。古物の中を歩いていけば、突如とてつもなく美しい建築が目に飛び込んでくる。幅50Mもあろうか。両サイドはまるでコルビジェが近代になって提唱したピロティのように三連アーチによって上階が支えられて,建物の向こう側にと視界が抜けている。ミラノへの国道沿いのこんな名も忘れてしまうような小さな街にこんな聞いた事もない建築があるなんて。またドーパミンが出て来てしまった。
家に戻ると,隣のパトリツィアとロレーナが例によって井戸端会議をしていた。そこを素通りする事は許されない。今日はパトリツィアの誕生日だから「おめでとう」を言ってあとはとりとめのない、今となっては何を話したかも覚えていないような雑談をしていると、遠くで雷鳴が聞こえてきた。大きな雨粒も落ちてきたから、急いで家に引き上げた。まだ明るいけれども先週夏時間になったから家の時計を見るともう7時になっている。パトリツィアに誕生日のお祝いにチーズケーキを急いで作った。今日は朝作った鯖寿司の夕飯でいいから準備は簡単だ。それにしても、日本食はめったに作らないし恋しいとも思わないけれども,この鯖寿司だけはどうにも旨くて仕方がない。また快感ドーパミンが脳内発生した。一日三回もドーパミンが出たのだから,これはもうとびきりすばらしい日曜日だとしか言いようがない。






















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by kimiyasu-k | 2017-04-03 04:21 | Comments(0)