コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

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2017 07 20 つづく


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by kimiyasu-k | 2017-07-21 05:26 | Comments(0)
2017 07 19 斜に構えたパランツォの玄関
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しばしば登場する,モリーナ,レムナ,パランツォの三つの村はコモの街から東岸を10KMほど北上した山の中腹にある。今では国道から外れてしまって余り知る人もいない三つの村だけれども、かつてはコモ湖沿い山の中腹を通っていた街道,レジャ街道の通る大事な村だった。だから今ではかすれてしまっているけれども、OSTERIA、お休み処と書かれた建物が時々目に留まる。この三つの村は,かつては行商人の村だったという。レジャ街道を通って沢山の村人達が,ブリアンツァやロンバルディア平原の街に商売に出掛けていったのだろう。随分景気も良かったようだ。他の村では余り見る事のない創意を凝らした装飾的な御影石の枠どりが多くの家の玄関を飾っている。
















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by kimiyasu-k | 2017-07-20 05:36 | Comments(0)
2017 07 19 パランツォの家
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4















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by kimiyasu-k | 2017-07-20 05:13 | Comments(0)
2017 07 19 ちょっとプロバンス風のパランツォの小窓
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4















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by kimiyasu-k | 2017-07-20 04:56 | Comments(0)
2017 07 17 山の村 パランツォの立派なジャスミンのある家
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4



















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by kimiyasu-k | 2017-07-17 12:10 | Comments(0)
2017 07 17 山の村 パランツォでバルに集まる村人
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EPSON R-D1xNOKTON40mm F1.4




















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by kimiyasu-k | 2017-07-17 11:57 | Comments(0)
2017 07 17 山の村 パランツォのいつか子供の遊んでいた家
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EPSON R-D1x NOKTON40mmF1.4


















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by kimiyasu-k | 2017-07-17 11:51 | Comments(0)
2017 07 17 山の村 パランツォの緑の玄関戸
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4






















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by kimiyasu-k | 2017-07-17 11:39 | Comments(0)
2017 07 16 山の村,パランツォ
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4
山の村に行けば少し涼しいかと生ハムのパニーニを持ってつづら折りの山道を上がり山の村,パランツォに出掛ければ,やはり少し涼しかった。

















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by kimiyasu-k | 2017-07-17 02:07 | Comments(0)
2 017 07 15 忠実過ぎる犬
犬を飼い出す前に,あれやこれや本を読んだり,ネットで調べて,「如何に犬は飼わねばならぬか」という事を勉強した。一言で言ってしまえば,犬というのは本来リーダーのいる群れで生きる動物だから、絶対服従のリーダーに飼い主がならねばならぬというものだった。三ヶ月くらいまでが人(犬)格形成には大事だから,甘やかし過ぎたり,しないようにとモノの本には書いてある。靴で遊ばせるなとか、引き綱は短くして常に主人の脇を歩かせるようにしろとか。実際に犬を飼い出してみればそうは行かない。大体,可愛過ぎてつい甘やかしてしまう。食事中に、こちらをジッと見つめられればつい何かをあげたくなってしまうのが人情というものだ。
教科書どうりに書いてあるように本当に犬を教育できればどうなるかと言えば,これはもう絶対服従のお行儀良い犬が完成する訳だけれども,本当にそれで良いのかと思う。もちろんいたずらに吠えたり、噛み付いたりして人に不快感を与えたり危害を加えるのはNGだけれども、言ってみれば犬というのは「感情,情愛」の補填のために飼うものだ。それが兵隊みたいな犬なら,奴隷みたいな犬ならちっともその役目を果たしてくれない。機械みたいな犬は誰も飼いたくないと思う。悪戯したり甘えたり,自分勝手だったりするからこそ犬は随分長い間,人と一緒に生きて来た。
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それで何が言いたいかと言えば,犬の事ではなくて人のことを言いたかった。つまり”ある主人”が社会システムとして人々をまるで犬を育てるかのように思うように教育し条件付けて「兵隊」や「奴隷」のような、「機械」をつくり出そうとしているのでは無いかということだ。
一見,人は、特に民主主義国家ではかなりの自由が与えられているような気がする。でも実際には,いろんな局面で不自由だし,無意識のうちに自分が自分から不自由にしていることも沢山ある。例えば,スマホをもつ持たないは自由のはずだけれども,もうほとんどスマホ無しの生活というのは考えられなくて,相当いろんな事に抵抗しなければスマホの無い生活というのはすることができない。そして一度スマホを持ってしまえば、そこからは怒濤のごとく様々な情報が入ってきて脳みそをかき混ぜる。そんな情報は見なければ良いと言ってもまるで催眠術にかかったように人は情報を仕入れてしまう。メッセージの通知音がなれば,つい気になってそこに気がいく。電車に乗ったりしてちょっと空き時間があれば、ほとんど無意識にスマホを開く。
こんな状況は他の事でもいくらでもある。有機栽培という言葉が力を持ってくればまるで普通の栽培野菜は,毒物であるかのようなイメージになり、ほとんど脅迫観念のように無農薬野菜に走る者も出て来る。
人々を犬のように教育し,条件付けしているものは、一体誰かと言えばそれは力のある立場にいる一握りの人が意識的にそのような事をやっている訳ではない。例えばスティーブジョブスがそのような意図をもってアイフォンを開発し販売していた訳ではない。おそらく彼は純粋な企業家精神で、アイフォンでこの世を席巻した。それがこの世の仕組みに見事に合体して、人々の生活を根底から変え、まるで麻薬のようにアイフォンは多数の人間の道具となった。道具は使うものだから、使わないのも自由という理屈は、もう現実社会では通らない。麻薬以上にiPhoneは、人々を依存症に陥れる。
何故こんな事を思うかと言えば,しばしば日本、とりわけ東京に行くとつくづく東京というのは「情報」「消費」の都市だと感じるからだ。365日、24時間、東京は「消費」で埋め尽くされている。朝起きた時から、寝るまでひと時も休み無く、「広告情報」に攻められる。テレビ、雑誌、広告、看板、スマホ、PCのサイト、視線の中に、「買え」というインプットが無い事のほうが、難しい。そして現実世界でも手に入らないものがない、手に入らない時間がないという状況だ。だからこんなところに身を置いていれば、買わないという「自由」はない。買うことを余儀なくされる。モノを買わなくても、例えば美術館に行って絵を見るなんて行為もまるで「消費」行為であるかのようだ。まるで人気のラーメンやに長い行列を作るように、行列を作って、ナントカ展を見る。その評価もすでに、マスメディアがアプリオリにインプットしてくれている。東京では、旅行だって「買う」ことになる。イタリア一週間の旅は、イタリアでするのではなく、東京で梱包されて買うものだ。こんな東京の生活を見ていると、本当にここに住む人間は、自由という権利をもっているのだろうかと思ってしまう。それはまるで忠実この上ない良く訓練された犬のように、自由を捨てて「消費」という餌付けをされた人のように思えてならない。きっと渦中にいればそのような事には気付かないだろう。でも一度、そのような消費という「独裁的」な領域から身を引いてみれば、その事に気付くはずだ。本当に怖いのは何処かの国のようなある一人の独裁者ではなく、街全体を覆い尽くし誰も意識していない「独裁的な力」だ。もう直き、「オリンピック」という巨大な「消費」がやってくる。


































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by kimiyasu-k | 2017-07-12 13:35 | Comments(2)