コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

3月12日 月曜 晴れ
夜、仕事の話しがありレストランに行く。ジャルディーノというコモの町外れ、住宅地にあるレストランで、1900年代の初めに建てられたと思われる小さな館、ビッラで魅力的な建物だ。街の中心地にあるレストランはどこも観光客相手のためか、料理もあまり変わったものはない。そこで知人に紹介してもらったこのレストランに初めて行ってみた。
メニューに、ピチを見つけた。こんなところで、ピチに出会うとは思っても見なかった。ピチはトスカナ地方のパスタで、手作りのうどんといったらよいのだろうか。固めのうどんが、スパゲッティになったようなものだ。たっぷりのミートソースと名古屋のミソに込みうどんのようなコシのある麺が素朴でおいしい。マグロを軽く火であぶったセコンドピアットもなつかしい味がした。
仕事の話しは、最初からけんか腰になるのは分かっていた。
この次は、仕事なしで、友人と来て、料理を満喫しよう。
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-03-15 01:35 | Comments(0)
3月11日 日曜 晴れ
昼前、隣に週末住宅をもつ友人に会いに行く。ミラノに住み、土日は必ずこのネッソ村の家に来て、田舎暮らしを楽しんでいる。外で畑仕事をしていた友人が、今日は一人娘のマーラも来ているというので、家に会いに行く。自分とは親子ほども歳のはなれたマーラとの会話はこんな調子だ。
「久しぶりだけど元気だった、調子はどう」
「元気、元気、何か新しいことはあった」
「いや、これといって特別ないよ」
「仕事はどう、相変わらず遅くまで毎日働いているの」
「毎日9時過ぎまで。これは私の人生じゃない。仕事だけで、自分の時間が全くもてない。この間会社の人とパーティーがあったんだけど、みんなこんな遅くまで毎日仕事をしている人は、会話をする話題もない。自分のもっている自動車の話しぐらいで、全く話題がないの。そんな人たちをみてると、これはやっぱり自分の人生じゃないと思う。」
「そうか、でも長い目で見れば、若いときにはそういう時期があってもいいんじゃないのかな。」(ちなみにマーラは弁護士で、ヨーロッパでも有数の大きな法律事務所で、国際的なファイナンス会社を相手にした仕事をしている)
「この事務所で働きだして、まだ6ヶ月しか経っていないので後なんとか半年はやるつもり。でも、これはやっぱり自分じゃないから、一年経ったら行動を起こすつもり」
/////////////
「そう言えば、先日、新聞でインターネット関係の評論家が面白いことを書いていて随分なっとくしたんだよ。」「彼は、ブログなんかによって、マスコミ、権力側に握られていた情報が、全くの個人、権力の無い人間が発することができるようになった。そして、情報を受け取る側も、もう情報が絶対的に正しいものじゃなくて、自分で判断して受け取るようになっていく、そんなふうに情報が、個人のレベルにと本当の意味でおりてきたんだ、といっていた。」
「それは確かに。」

長々と書いてしまったけど、親子ほど歳の違った性別も異なった人が、こんな会話を自然にできるような空気があるのが好きだ。
d0104210_329198.jpg
mare dentro ★★★★☆
26年間、全身不随になってベットで生きてきた主人公が、自らの死を獲得するまでを描いた映画。その主題の重さにも関わらず、彼を巡って浮き出される人間の姿は感動的。つい1月ほど前に、イタリアでも死を望んだ寝たきりの身障者が、殺人罪に問われることを知っていながら医師によって呼吸器を止めてもらい、息を引き取った。映画が単なる娯楽でなく、こんなにも強烈に人々に問題を投げかけることに驚嘆した。
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-03-13 03:34 | Comments(0)
3月10日 土曜 晴れ
d0104210_19254710.jpgd0104210_19475337.jpg
今更何もこんなことを書くのもおかしいが、ふと先にみた映画をみて思い出したのは、ベニーニの作った映画"la vita è bella"とLiev Schreiberの作った"ogni cosa e illminata"について。両者とも第二次世界大戦におけるユダヤ人の虐殺を語っている。ベニーニの映画は「生きる事がすばらしい」というのが主題なのだが、それはアウシュビッツの収容所という地獄で描かれることによって、また純真な子供を登場させることによって成功している。しかし本当にその地獄を生きた人間に、そして死んでしまった人間に「生きることがすばらしい」と語ることができるのだろうか。
それに比べてogni cosa e illminataがユダヤ人虐殺から生き延びてしまった二人の人間を通して、史実が人々に本当に刻み込んだものを描き出そうとしている。人の犯した許しがたい過ちとそれを被った人々の、自殺にまでも追い込む悲しみだ。それが二人のコミカルな若者をとおして描かれることによって、今日性をもってくる。ベニーニの映画に「無意識の悪意」を感じてしまうのは自分だけだろうか。一連のユダヤ人虐殺の映画は、一見その残虐性、非人間性を告発しているようでありながら、それを道具化strumentalizzazioneしていることに注意しないといけない。数年前に評判になった戦場のピアニストもそんな映画のひとつだ。
ヨーロッパは確実に世界第二次大戦から何かを学んだ。ヨーロッパが貨幣を統一して、国境が無くなったのは決して自然に、スムーズに行われたわけではない。多くの犠牲の上に実現した。ここ数年の日本の右傾化を見ると広島はすでに忘却の引き出しにしまい込まれてしまったということだろうか。
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-03-10 19:17 | Comments(0)
3月6日 水曜 雨
d0104210_23315775.jpg
昨日から、コモの街では日本の建築家、隈研吾の展覧会が開かれている。仕事に疲れた午後、所員と一緒に見に行った。技術的な面では展示物の物理的な量が少ないために、少し寂しい印象を与えた。
内容に関しては、何故、今、イタリアで「隈研吾」なんだというのが正直な印象だったが、おそらく日本の伝統的な、木格子のイメージがイタリア人にとっては、新しいものとして映るのかもしれない。寿司、禅(いずれにせよ、寿司と禅が同じレベルで語られるというのが外国文化の捉えられ方だ)、といった日本の文化イメージの上にのっているのが隈研吾の建築なのかもしれない。
そこで、一緒に見た所員に聞いてみる。端的に言ってしまえば、竹や紙といったイタリア人にとっては「建築」とは縁の遠い素材で「建築」を作ってしまうところが、変わっているとのことだった。
寿司バーなんかと同じ、今イタリアで流行っている、という枠から外してみると、彼の建築は魅力というか力が無い、と思った。
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-03-08 23:23 | Comments(0)
3月4日 月曜 晴れ、曇り
昨日は本当に暖かい一日だった。生ハムのパニーニをもって昼、村の船着き場に行ったが、余りの日の強さに、パンツ一枚となって日光浴をしてしまった。

2月15日付の同紙は東京特派員による記事で、6か国協議を取り上げ、日本は北朝鮮の核開発問題の解決で主導的な役割を果たせず、「拉致問題が日本の外交政策を独占してしまっている」と批判。これに対し、阿部大使は、被害者は日本人だけでなく、イタリアやフランスなど欧州にも広がっているとし、「核問題解決の名の下に、拉致問題を犠牲にすることはできない」と主張、進展がない場合は、エネルギー支援などを行わないとする政府方針の正当性を強調した。(2007年3月5日22時5分 読売新聞)

拉致問題、イタリアではほとんど報道されていない。気になるのはマスコミの報道が、どうしても被害者への感情問題として扱われているような印象を受けることにある。「感情」は、国内の世論を方向付けるには有効であっても国際舞台では通じない。主権侵害をされた法治国家日本という「論理」を展開しないことには、解決の可能性は皆無と考える。
感情をベースにした拉致問題が外交の切り札として有効と考えているなら、それは本当に日本の非国際性を示すものでしかない。国際人であるべき大使の「核問題解決の名の下に、拉致問題を犠牲にすることはできない」という発言が、全く意味を成さない(誰も核問題か拉致問題かという選択をせまっているわけでない)ことを考えれば、この発言自体が極めて感情的なことに気がつく。

映画 whisky  ?????
ちょっとすごい映画。フランス的な心理の動きだけで展開していく、という意味では面白いけれども、、、、、、。ともかく、一見の価値あり
d0104210_210296.jpg
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-03-06 01:51 | Comments(0)
2007年2月28日 水曜日 晴れ
伊吹大臣「 なおす前の教育基本法も大変よくできている法律なんです。例えば権利の大切さとかね、そのことはもう何ら間違いはないし、正しいこと。
戦争に負けたときに、私は小学校の1年生だったんだけれども、これぐらいのバターの小さな1センチぐらいの塊はとても貴重なもので、栄養が随分あるものなんです。バターはいろんな栄養があるんです。だけれども、今はバターはそう貴重なものではなくて、幾らでも食べられるようになってしまったから、余り食べ過ぎるとメタボリック症候群になりますからね。そういうときは少しバターを控えて、そして、野菜も食べて、健康に暮らしていくというふうに時代が変わってきているわけです。
 だから、人権というのも個人の権利というのも大切なんだけれども、余り使い過ぎると権利メタボリック症候群になるので、家族あるいは会社、地域社会、そして日本の国の一員であるという公共の精神というんですか。自分の乗っている船のために努力をすることによって、自分の権利も主張できる。大切な自由にはやはり規律があるということを中心に法律が改正されたというふうに理解してもらったらいいと思うんです。」

今日は政府インターネットテレビの大臣のほんねという所にでていた、大臣のほんねを読んで唖然とした。仮にも政府の顔と思えるサイトでバターを引用して人権を語ってしまう、この無神経さに恐怖を感じる。人の権利は、この程度までは良くてここからは悪、いや我がままだというような問題ではないことは、考えてみれば、考えずとも分かること。憲法に保証されている基本的な人権を、公共の精神と秤にかけてみて、人権側に傾きすぎています、というのはまさに「お国のために」という標語のために個人を犠牲にした歴史の繰り返しの第一歩だ。
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-28 21:54 | Comments(0)
2007年2月26日 月曜日 晴れ
昨日は久しぶりに雨が降る。今年は、本当に異常気象か、雪が一度も降らなかった。ミモザの花が咲いた。例年はミモザを女性に贈る習慣のある3月8日の「女性の日」にも開花しないのだが、今年は二週間もはやい開花となった。事務所に飾ったミモザの花が、朝日を受けて輝いている。
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-26 18:05 | Comments(0)
2月20日 火曜日 晴れ
コモの街から湖東岸を17km北上したネッソと言う村に住んでいる。コモからベッラジョまでの道は急な山の斜面、湖面から50mほどの高さを走る。家は湖畔にあるため、車を国道にある駐車場にとめて湖畔まで50mのレベル差を歩いておりなければならない。幅2mほどの、階段になった道がコモ湖畔に散在する小さな集落の道路網だ。この道はふつう御影石の縁石と10センチ程度の石ころで出来ている。コモ湖畔に点在する小さな村は、この石ころの道路が、石積みの壁とともに特徴となり魅力的な景観を作っている。手作りのようなこの石ころの道も、最近インターロックブロックに置き換えられるという悲劇がおきている。
d0104210_31326.jpg
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-20 18:39 | Comments(0)
2月17日 土曜日 曇り
映画 sposa turca トルコの花嫁 ★★★☆☆
       paradise now パラダイスナウ ★★★☆☆
       lola corre ★★☆☆☆
d0104210_1793982.jpgd0104210_1875773.jpg
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-19 18:14 | Comments(0)
2月16日 金曜日 晴れ 曇り
当たり前のことだが自分で書いてみてブログの特徴は、匿名性にあることに気がつく。誰がアクセスするか分からないという公共性とコンピューターを前に個人が「秘密裏」に書き込むという、極めて私的な行為の対比が、その魅力なのかもしれない。
映画 le conseguenze dell'amore ★★★☆☆
マフィアの資金をスイスのルガーノで運用するもと会計士を主人公とする映画。イタリア映画にしては、静かで思いもよらないストーリー展開は面白い。主人公が愛する若い女性を演ずるOlivia Magnaniがとても魅力的
d0104210_345748.jpgd0104210_346280.jpg
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-16 20:07 | Comments(0)
2月15日 木曜日 晴れ
テレビでは昨夜、既成カップルとでもいったらよいのか、同性のカップル、に関する法律についてしきりと議論をしている。父-母-子供という伝統的な「家族」の概念を中心に据えたカトリック教会、ローマ法王がそれに異議申し立てをしているからだ。ヨーロッパの他の国は、既に同性者の婚姻さえ認めているのにもかかわらず、イタリアはそれにはほど遠い。ルネッサンス時代ミケランジェロをはじめ、イタリア経済界の大きな柱になっているミラノのファッション界でも同性愛者が主役を演ずるにも関わらず、まだ保守という力が彼らをマージナリーな存在に停めようとする。
映画 il costo della vita ☆★★★★
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-15 22:01 | Comments(0)
2月14日 水曜日 晴れ
バレンタインデー 
今日は昼に、所員の女の子二人、マルチとキア、その友人のベネがやって来て昼食をスタジオで一緒にする。今日のコック役は自分がする。料理をするといっても、簡単で、スタジオから50mほどのところにある小さなスーパーマーケットに行って、バリッラ社が作っている瓶詰めのトマトソースと500g、50円もしないパスタを買ってくる。たっぷりのお湯に、シチリアのアラ塩を手のひらで分量して、パスタを茹でて、暖めたトマトソースをかけるだけだ。今回はマグロ味のトマトソースにした。今日はバレンタインデーと言うことで、女の子達もお祝いをするんだとサンフェデーレ広場にあるアイーダというお菓子屋さんで、フリテッラという揚げ菓子を買ってきた。フリテッラはシュークリームの皮を揚げて、砂糖をまぶしただけの簡単なお菓子だ。彼女たちによればこれはコモのお菓子だという。料理は簡単でも、イタリア人がこだわるのはテーブルのセッティングだ。赤いテーブルクロスをかけて、お皿を並べて、フォークとナイフ、コップをセットすれば、それだけでパーティーの雰囲気がしてくる。やはり瓶詰めのトマトソースはあまり美味しくないが、「パスタの湯で加減は本物だ」と、ベネが褒めてくれる。「自分は日本人でも、お前達が生まれる前からスパゲッティを茹でているんだから、上手なのは当たり前だ。」と反論。スパゲッティがプリモピアットなら、セコンドピアットはお喋りだ。ただでさえ話し好きのイタリア人、若い女の子が三人集まれば話題には事欠かない。
もうじき、カーニバルだ。コモ湖畔の村でスキニャーノという小さな村がある。ベネチアのカーニバルは世界的に有名だが、この小さな村のスキニャーノのカーニバルもなかなか魅力的だ。
ベネは、スイスのベッリンゾーナのカーニバルに行くかもしれないという。もちろん自分も参加するためだ。芸者の格好をしたらどうかと言うと、マルチはこの間日本に行ったときに買ってきた浴衣を貸してあげると言っていた。
d0104210_21471623.gif
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-14 17:08 | Comments(0)
2007年2月11日 日曜日 曇り のち 晴れ
モンテベッキアに行く。近くの人たちが日曜日の家族親戚の昼食のあとに出てきたのか、人が多い。1700年代と思われる館が美しい。
映画 「雨あがる」 ☆★★★★
映画としては黒沢派の著名な俳優が出ているにも関わらず、あまりの貧しさにおどろく。
面白かったのは、日本人が共感を覚える人物像が描かれていることだ。ずば抜けた能力がありながら境遇に恵まれない。武士という社会的な地位にもかかわらず弱い人々に対して非常に寛大である。妻に頭が上がらない。が妻はそんな夫を理解して時には代弁者となる。殿様という頂点に立ち絶対的な権力をもつが、反体制的な行動をとる。ヨーロッパの社会に長い間暮らしているとそんな日本人が持っている理想的な「人物像」が非常に日本人的であることに気がつく。
映画「クジラとイカ」 ☆☆★★★
映画「noi albinoi」 ☆☆☆☆★
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-12 18:40 | Comments(0)
2月10日 土曜日 曇り
映画 ogni cosa e illuminato. ☆☆☆☆☆
60年が過ぎ、あまりに様々な切り口で語られたナチのユダヤ人虐殺を、新鮮な視点で語ることのできた監督にこころから敬服
「国家の品格」 権威主義のかたまりのような本 断片的でも思ったことを書き留めておくことが必要だろう。
ともかく日本が右傾化にあることは確実だ。今日では右、左という単純な言葉で政治的な傾向を表現することは馬鹿げているという考え方もあるが、ともかくその人の考えている方向を理解するには、確実に有効な言葉だ。
筆者は国際化と英語教育と、日本語教育の問題を論じているが、問題の設定の仕方すら完全に間違っている。
こうしてイタリア語の社会で暮らしていると言葉の問題が、まず第一は学校で習得できる技術の問題ではなく、「自分を伝えたい」という意思力の問題であることに気づく。レストランで水が欲しいときに「アックア」と言う力が無い。レストランの給仕は間違えた答えをすると怒る学校の先生ではないにもかかわらず、「アックア」の一言が言えない。「アッカワ」でも「ウックワ」でも何でもいい。コップに視線を投げかけ、給仕の目を見て何か言葉を発すれば、コミュニケーションはなりたつ。歳をとればとるほど、「アックア」と一言発するためのハードルは高くなる。もし、外国人とコミュニケーションの必要を本当に感じるなら、語学教育は小さな時からはじめたほうが良いのは当たり前だ。



d0104210_185041.jpg
[PR]
# by kimiyasu-k | 2007-02-10 21:37 | Comments(0)