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コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2010 08 29
仕事を終え曲がりくねった湖沿いの道を車で飛ばし、長い長い階段を歩いて下りてくると、家の手前で誰かが呼んでいる。あまり聞きなれない女性の声が確かに自分のことを呼んでいる。振り向くと、急いで駆け下りてきた近所の弁護士の奥さんだ。「弁護士」とあえて書くのは、どうもあまり聞きなれない名前で、なかなか覚えられないのでアッボカート、弁護士さんと呼んでいたからだ。確かコルビさんと言ったか。もう杖をつかずには歩けないほどのかなり老齢だったコルビさんは、残念ながら今年の春、湖の対岸からサイレンを鳴らしてやって来た救急ボートに運ばれたまま、このネッソ村には戻らなかった。コルビさんには、以前家に招待されたり、道で建築のことや政治のことを立ち話したりした。その弁護士、コルビさんの奥さんが、自分を呼び止めた。
それは「本」のためだった。コルビさんの家には大きな書斎がある。50平米もあろうか屋根裏まで吹き抜けた天井高が4、5mの大きな書斎、ほとんど図書館と呼んで良いほどの書斎がある。大きな暖炉の脇には、安楽椅子が置いてあり、コルビさんは冬は、ここで暖炉の火を見ながら、本の壁に囲まれて、ページをめくっていたのだろうか。コルビさんは体が小さいのに結構気性の激しい人だった。時々、大きな怒鳴り声が家から聞こえてきたりした。いつか一緒に食事をした時には、イギリスのエリザベス女王の弁護士となったご子息と、もう絶縁が10年以上も続いている、そろそろ縁りを戻してはと、友人に言われていた。コルビさんのテラスには平和主義者を声高に主張する、ピースと書いた七色の旗が翻っていた。ある時には広島原爆の本を、読んでみろと書棚から引っ張りだしてきた。
そんなコルビさんの大きな図書館を、コルビさんの奥さんは今、持て余している。階段を300段も歩いて上がらないと車の通る国道まで上がることの出来ない、この図書館の本を前に、一人暮らしになってしまった彼女は、途方にくれてしまっている。
舞台美術をしていたモスクワ生まれの、コルビさんとは親子ほど歳の差のあるスラリとした綺麗な奥さん、余り親しく話したこともないけれども、こんな田舎の村には、本に関心のある知人もあまりいないのだろう。そこで、建築や都市に関する本を、他にもどんな本でも良いから、出来たら引き取ってもらえないかと、好きなだけもっていってくれないかと言う、そのために呼び止められたというわけだ。
書斎を訪れてみると、その充実ぶりには 改めて感心させられた。本が好きだった自分にとっては、宝の山に入ったようなものだ。後日、改めてゆっくり拝見するということでお暇したが、この一冊だけはまずは手付けにと頂いてしまった。
ここはイタリア合理主義建築発祥の地。ジュゼッペテラーニのノボコムムを放っておくわけにはいかない。家に持ち帰り本を開くと、マメなコルビ弁護士がはさみ込んだ20年前の新聞記事の二つの切り抜きが出てきた。

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by kimiyasu-k | 2010-08-30 14:20