2013 07 14 プラスチックきらい |
1988年,イタリアで暮らし始めて驚いたことはプラスチックがあまり見当たらない事だった。日本で当たり前のタッパーが,ガラスなのには驚いた。ミネラルウォーターもガラス瓶が当たり前だった。プラスチックの製品があったとしてもそれは分厚いまず割れることも無いもので,ガラスより高い代物ばかりだった。ともかく軽快,廉価,消費文化に突っ走っていた日本から見ると,どうしてこんなに「重厚」なんだと呆れもした。あれから四半世紀もたつと,こうしてイタリアでも使い捨てのプラスチック製品があふれている。ミネラルウォーターは,掴むとひしゃげてしまうほど薄いボトルに入り,果物は紙袋から透明容器に引っ越しをし,使い捨てのコップやお皿は外で食べる時は当たり前。先日みたドキュメンタリーで,世界中の海岸がプラスチックの微小な破片で汚染され尽くしていることを知った。なんとか抵抗しようとしてもプラスチック無しでは生活することはほとんど不可能だ。
EPSON R-D1 Voigtlander 40mm f1.4
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by kimiyasu-k
| 2013-07-15 18:01