コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 07 31 いつのまにか
いつのまにか7月31日になってしまった。
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EPSON R-D1xNOKTON40mmF1.4
国立競技場問題,そしてエンブレム盗作で、オリンピックは随分さい先の悪い出だしとなった。先行きが思いやられる、と関係者は思っているだろう。だいたい,駄目な時や駄目な事ってのはあるものなので,じっとやり過ごすしかない。オリンピックもあんまり頑張らずにジッとやり過ごすようにした方が良いと思う。世の中は思い通りにはいかないものだ。
一見なんの関係もない、競技場とエンブレムだけれども実は共通点がある。それは両者ともコンペによって決定された事だ。
コンペは確かに多数のアイデアから「最良の案」を選ぶという一見民主主義的な方法のように思われている。でも実際には,コンペは始める前から,審査員によって決まっている。つまり誰が審査員であるかという事によって決まっている。そこには政治的な意味も、権益や名誉,金銭も絡んでくる。応募案の良否,適切さ、そんな事はおかまい無しに,審査会の中で働く「権力」の結果が勝者となる。秘密裏に行われる審査会のやりとりをもし見聞きすることができれば、今回の二大汚点の本当の原因がはっきり見えてくるだろう。そしてそれは極めて日本的なやり方であることが分かる。
1964年の東京オリンピックのエンブレムは、「気品」があったし、単純な構成の中に「正直さ」があり、どこかに「謙虚さ」も兼ね備え,今日でもイタリア人に自慢して見せる事ができる。それに比べて2020のエンブレムのデザインの酷さは、恥ずかしくて見せるわけにはいかない。デザインは,一見「図柄」の問題のようだけれども、実はその背後にある「社会の仕組み」の表出であることにはあまり気付かない。
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by kimiyasu-k | 2015-07-31 14:23