コモ湖畔の書斎から dalla finestra lariana

2015 08 15 塩見岳
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LEGNONEレニョーネは湖北にある主峰で、標高230Mの水面から長い尾根が2609Mの頂上まで続いている。カマジョーレから見たレニョーネはちょっと右上を向いてようで,何となく南アルプスの塩見岳を思い出してしまった。塩見岳は頭が丸い坊主みたいなのにこちらはちょっと尖っているけれども。
「雨の登山もまた楽しい」という深田久弥の日本百名山の塩見岳を読んで,よし梅雨の季節だけれども塩見岳に行こうといって友人達とでかけたのはもうずっと昔の事だ。今では一体どうなっているのかしらないけれども、鹿塩温泉から塩川土場まで入り,そこから長い長い三伏峠への昇りに取りかかった。植物なんてものには興味の無かった若い頃,塩川土場から少し歩いた湿った谷間に,高山植物のコイワカガミが咲いているのをみてその美しさに驚いたのを、覚えている。水の無い立派な三伏峠小屋より,谷をしばらく下りた三伏小屋に泊まろうと辿り着いた小屋は何とも頼りない小屋だった。翌日も雨は降らずに無事初めての3000M峰,塩見岳に登った。帰りの日は酷い雨で,もう暗くなるころ塩川土場まで、雨合羽を着て気持ちよい程ずぶ濡れになって塩川土場の小屋まで辿り着いた。同行していた一人が、合羽の中まで本当にずぶ濡れだったのが、雨でなく汗だったのに皆で笑った。
その次は,翌年の秋だった。大学の前期の試験が終わった10月にまた恵那から入り塩見と荒川岳を登り,静岡に抜けた,と思う。一週間程山にいて、わずかに3,4人の人にしか会わなかった事が妙に印象的だった。
そして、初めての冬山もやっぱり塩見岳だった。今と比べれば当時は装備もまだ「前近代的」だったから荷物も随分かさんでいた。白ガソリンを燃料とするコンロ,まだ随分高かった羽毛服(ダウンなどとは言わなかった)、ズッシリ重い鋳物のアイゼン,亜麻油をたっぷりしみ込ませた美しい木の柄のピッケル,重い革靴,ひとつひとつがみんな重かった。それでも出たばかりのダンロップのテントは、細いジェラルミンの支柱を簡単に組み立てるナイロンの軽いテントで,木綿の三角テントが正当的だった時代,簡単に組み立てられて自立するダンロップテントは随分未来的に見えた。山を撮るなら最低ブローニーと、財布と折り合いをつけて何とか手に入れたマミヤ645の重さも嬉しかった。氷点下20度で、きちんとシャッターが切れるのか心配だった。頂上から三伏峠まで戻ると雪が降り始めた。2日雪で閉じ込められ3日目の朝,まだ雪の降る中を下り出した。樺沢小屋まで下りると,小屋のおばさんが寒かっただろうと風呂に入れてくれた。そこでご馳走になった漬け物が妙に苦かった。もちろんスマホなど想像だにしない時代で、ともかく家に電話を入れようとしたが、直接話しはできなくて、営林所の人を通してメッセージを家に伝えてくれた。恵那営林所から電話を受け取った父親は,一瞬遭難したと思ったと言っていた。半世紀とは言えないまでもあれから随分時間は経ったけれども、今でも三伏峠からみた塩見岳は当時と何らかわらず、右上を向いてのけぞっているはずだ。
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by kimiyasu-k | 2015-08-15 12:40